突然慌ただしくなった。


夏休みの「寝るか、練習するか」の日々からの変化であるから当然ではある。
教養科目の授業、管楽合奏に室内楽、上下関係、週一のレッスン、etc..


といっても後期が始まり一週間経つとそれが当たり前のサイクルになる。









大学に居着いている彼
のんぽり音大生が考える-ねこ

夏休みも今日で終わり.




長い休業中に新しいことに手を出そうと、先月から写真を始めた。

なにか始めて間もない頃に得られる発見や新鮮さは格別である。



写真についての知識はカメラの機能のことだけにとどめて、後は自分で好きにやっていこうと思っている。
どんなことでも自分の財産にするためには自分で発見することが第一条件なので、本やインターネットなどで技法を調べないことにしている。時間はかかるが時間はたっぷりある。





夕方は昼と夜の境だが、昼から夕方にさしかかるビミョーな時間が好き。
昼間からなんとなく静かになり、夕方ほど感傷的でない時間の風景がなぜかより鮮やかに見える


大学のタイル
のんぽり音大生が考える
「手段の目的化」を避けるべき

ということはあらゆる分野で言われることだが、音楽を考えた時は一概に否定できないかもしれない。


なにしろ、発展途上の演奏者は表現の「手段」を持っていない(または、その手段を全く気にしていない)状態で、練習はその「手段」を身につけるのがひとつの「目的」になるからである。



ただ、

「俺のスラーの滑らかさは誰にも負けん」

「スタッカートの軽快さで私に敵うものはいるかしら」

など
エセ個性を演出したり、手段を求める事に無情の喜びを感じる(orひたすら悩む)ようなことは避けるべきであり、そんな状態が音楽表現における「手段の目的化」ということである


本当の目的は精査された手段で曲を「どう料理するか」である。




ここまで書いてまったく当たり前のことを書いていることに気付いたので、タイトルを
「手段と目的」から変更しました(笑)