今年はコロナで大騒ぎの近況ですが、


1970年11月25日三島由紀夫

市ヶ谷自衛隊にて割腹自決。


11月11日の読売新聞配信の

三島由紀夫自決から半世紀・・・自己発信で消耗

現代に連なる悪循環,というタイトルの記事が目につき

感想をコメント投稿しました・・が

物足りなさを感じて ピグのプログに

思い出を追記しました

あれは私が営業車のガソリンを補給にいきますと

いつもと違う喧騒が湧いてました。そのはずですよ

大通り一つ隔てた向かいに

市ヶ谷自衛隊があるのですから騒ぎはひしひしと

伝わってくるのですから 店員に何がおきてるのかと

聞いて驚きました、三島由紀夫が乗り込んだらしいと

その後三島由紀夫自決を報道で知りました

その頃の私は兄を頼って上京して何かを

つかみ取ろうとして とりあえず会社勤めを始めた

ばかりでしたので 振り返る余裕を持てませんでした



三島文学は 金閣寺と潮騒は読んでました

その頃夢中に読んだのが

山岡荘八の徳川家康でしたから

その後、結婚子供3人育ててふと気が付いた時には

すっかり三島由紀夫の文学に、はまっていました

川端康成がノーベル文学賞を受賞し

三島が候補だったのに川端が三島に今回は

君ではなくて私が先だとか頼んだとか色々噂は

発ったものです。



(山中湖文学の森公園)

今でも山中湖の文学の森公園に三島由紀夫

文学館に毎年行ってます・・が今年はコロナで

往けてないです、

三島文学で一番座右の書は豊穣の海4部作品は

何度も読み奈良のお寺の月修寺のモデル寺まで出かけました

また清水区内の船舶監視所跡も見てきました

インドのベナレスは未だ行けてないですが

また 阿頼耶識(あらやしき)に魅せられ

唯識論にも魅せられ奈良興福寺貫首であった

多川俊映著書にもはまり込んで現在に至ってますが

ますます難解になり三島の自決の思想が解き明かせません

葉がくれも読みました 武士道とはは死ぬことを見つけたり

このままでは納得できる答えは無いでしょうね



そうだこの建物はもう20年以上たったので

あちこち修理が必要なんで寄付をしてくださいと

行ってきてますから行くつもりです。

合掌九杯

2月12日に今年は来たが

半年ぶり

まだ8時半なのにもう日差しが半端じゃねえ

凍った水1本だけしか持たなかったが

上にも自販機が

コロナであんまりいないと思いきや

結構なバラバラ人がいます

2月は誰も居なかったのにね

県内の人だと思うんだけどお盆だからね

日本平からのケーブルカーで来る人が多いから

歩いて上る人はこの暑さの中 変だしね


此処までくれば最高眼下に駿河湾




歴史は久能寺から始まり推古天皇のころ久能氏が

建立したそうだ  その後

武田信玄がお寺を今の清水区の鉄舟寺に移転

久能城にしたそうだ石段はこのころかな

山本勘介が掘った井戸もある



徳川3代で改築し終えたのか


それにしても廟所宝塔は立派です

日光東照宮は銅と亜鉛の真鍮みたいな金属製

此れは石作りで大きさも一回りは大きいと:::

まあいいから

大権現にお参りして感謝ですよー




帰りに 波打ち際まで暑いが行ったよ

やっぱ海はええなあ 波を見てるだけで

やすらぐねえ 貝殻一枚と竹の棒拾って

環境保全に勤めました

合掌