その男、チャーリーと写真家、野口さとこについて | スターポエッツ色彩言語化通信

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京都でスターポエッツギャラリーを営む傍ら、英国の色彩システム、Aura-Somaの講師として全国巡礼しております。様々な自然界の光と影、色彩の神秘に日々触れる瞬間を綴っております。

チャーリーとさとこ~打ち上げタイム!


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野口さとこ写真展「Who is Charlie?」にお越しいただいた皆様。誠にありがとうございました!
毎日尽きることなく多くの皆さまのご来場があり、さとこ&チャーリーへの愛に溢れた皆さまのお立会い、ご声援こそが何よりの楽しいエキシビションとなった6日間でした!
250部限定の写真集もすでに150冊を切っております。
チャーリー曰くこれからもぐふふ。と笑いみなさまの懐に回り込む!マジカルな技もさらに磨きをかけていくことでしょう!会場で野口さとことのフォトセッションを楽しんでくださった皆さま。
チャーリーページにて少しづつアップされると思いますのでゆっくりと楽しみにお待ちになってあげてください。
これからも野口さとこ&チャーリーをよろしくお願いいたします。


(以上はFacebookのチャーリー展のイベントページに先ほど投稿した記事です。)


さてさてチャーリー、というわけでお疲れさんでした!

さとこ&チャーリーとアート関係者M氏との打ち上げにて
すでにチャーリーは放心状態。いやいやよくがんばりました。こちらは上記のBarでの打ち上げタイムでチャーリーを撮ったつもりが、、、、笑 

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最終日、皆様からいただいた花に囲まれて。
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サインも熟れてきましたぞ。

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かずえさんと、(さとこ母)  チャーリーほんとに嬉しそう!





人生は予期せぬことで溢れている。

今回のチャーリー展のDMでさとこいやチャーリーが使った言葉です。

縁は異なもの味なものと言いますが、チャーリーという存在はぶれない稀有な存在としてその中心に立つことをゆるされたアイコンであり、
野口さとこのモデルとして強調されてはいますが、彼女のしている行為は単にチャーリーを連れ歩いて、ほのぼのとした一瞬をカメラに収めようとしているわけではなく、
チャーリーとの縁が味なものになってしまった瞬間がどこかにあったのだろうという過程が現在に至る~ということではないでしょうか。
はじめにチャーリーありき。(詳しくは今回の野口のテキストをごらんください。)http://www.satokonoguchi.com/

便宜上、チャーリーは野口の写真のモデルです。確かに。
今回の展示に際し、選び抜かれた作品たちから感じるそれぞれのテンポやリズム、哀愁やほのぼのとした一瞬や風情、景色の美しさなど、私たちがスマホやデジタルカメラを簡単に使えるようになった今、
日々の中で自分自身や愛する人々を撮りたくなる、動物や風景を撮りたくなるようなショットたち!
チャーリーはひょうひょうとした旅人のようにそんな大切な瞬間に登場しています。そして見事に収まっています。それは長年写真の技術を重ね、感性を磨いてきた誰にも真似できない野口さとこならではの本質の一瞬なのです。

また一方ではチャーリーが居るという瞬間に立ち会う、写真に映し出される前後の真実にこそ、物語があり、親密さや、驚き、可笑しさ、などのペーソスに満ちたコミュニケーションのエネルギーが有ったことを想像させます。
チャーリーがいることによって気配が変化したり、人間模様のパターン化された日常に新風を送り込み、風穴を開けたり風通しをよくしたり、新鮮なる精妙な輝きを授けるチャーリー、また間に立つことによってサークル(円)の中心が保たれ、チャーリーがポータルとなり、コミュニケーターとして中継点となって人間界を支援するといったことが起きてくるのです。

人形やぬいぐるみなどの愛玩としてのジャンルは当然存在し、私たち人間の間に立つことで
介在者となる不動の地位を築いている人形の文化、伝承があります。
人形に魅せられるということは私たち人間の古くからの歴史であり、確固たるひな形としてその存在価値を古代より現代まで世界各国の文化、伝承として今も息づいている世界です。

ではチャーリーはチャーリー人形なのか。

そんな愚問からは遠ざけ、彼のルーツ(腹話術人形)にもあるようにチャーリーを聖なるものと人の間に立つカタリストとしてのDNAを受け継ぐものとして讃えてみたいと思います。

同じように私たちもまたそれぞれの遺伝子を引き継ぐ生命体である。

命があるかないか、その違いは大きいでしょうか。
私たちが命ある存在の儚さに畏れを抱くとき、不死の生命、物質に宿ったスピリットとしての憧れを人形は俯瞰する思念として映しているのかもしれません。

チャーリーはまるで命を吹き込まれたかのような存在感と洒落者の風貌により
あるいは知性を感じるほどの豊かな表情で、多くの人々を魅了せずにはいられない
存在なのです。
Who am I ?   チャーリーは問いかける問いかけです。

チャーリーをこの先も撮り続けていくのか、野口さとこの写真人生はこれからが本番を迎えるのではないでしょうか。

また野口さとこのお地蔵さんの作品シリーズの展開、今評判を呼び売れている「京都日常花」(青幻舎刊)
(写真はすべて野口による。)
野口さとこの存在としての妙は、さらなる進化を遂げていくであろうと思われます。

彼女が学生の時に大きなアフロヘアにしていたことを思い出しましたが、彼女の中から放たれる普遍的な気品と謙虚な物腰からくる存在感は、チャーリーに負けず劣らず益々面白や~と展開していくことでしょう!

6日間のチャーリー展が終わり、ほっと胸をなでおろす、チャーリーという男
と写真家、野口さとことの最終打ち上げ飲み会は今日です!

皆様とも乾杯させてくださいね!

http://www.satokonoguchi.com/
https://www.facebook.com/charlie.noguchi/