親鸞の教えの根本は、善も悪も、貴も賤も、賢も愚も全ての人間の側からみた偏見と誤謬の産物であり、立場立場の都合にすぎない
視野をもっと高く、もっと広く、つまり阿弥陀の側からみれば、そんんものはもともとなかったのだということなのです。
本来何もないところに、なぜ善や悪の区別ができるのか。
それは、人間の心からやってくるという真相に気付くのです。
人が、悪を意識し、憎しみや憤りや嫌悪の情を湧きあがらす時は、必ず緊張の状態にあります。
緊張は、恐れに伴う警戒心によって生じます。
反対に、もし人が大変楽しく喜び満ちている時は、心身が弛緩状態にありますから、こんな時は警戒心がおこっていないので、だれに出会っても「ヤア」と声をかけたくなるような親しみを感じるでしょうし、何を見ても美しく何を食べてもおいしく感じることは誰しもが体験しています。
「心こそ心惑わす心なれ、心、心に心ゆるすな」と古歌にあります。
もし悪を意識したり、嫌悪を感じたなら、脳も神経もその時、緊張の状態にあると知るべきです。
そして意志と信念でもって、脳と神経を緩める事が肝要です。
緩める→緩くする→許すは同じ意義ですし、そうなった状態は、自分を縛りつけていた緊張の縄がほどける→ほとけになる(成仏)というわけです。
ドクター 木村 裕昭 著 「続健康塾」より
常に自分自身の心の点検をしてみましょう
嫌悪感をもたず、常におおらかに・・・
すべてを緩めてみんなで仏になりましょう~
そうすれば、病気はきっと逃げていきますよ~