一昨日から調子が悪くなったMだけど、昨日は最悪に調子が悪くなってしまった。
そしてそれは今日も続いている。
昨日の朝は、電話を受け取るのが嫌になり、その後のラインで調子が悪い事を伝えてくれた。
原因は複合的だということで、内容は言っても愚痴で暗くなるから言わないということだった。
そして、唐突に距離を置こうか、と言って来た。
さらに、何をしても楽しくない、それがわかったの。寂しい。という。
その前に父親の車に同乗し、実家に行ったからか、
生理前の不安なのか、何が問題なのかはわからないけど、
どうしようもない感情が押し寄せてくるのは確かなのだ。
そんな時だからこそ、昨日は運転中に後ろのドアが半ドアなことも気がつかず、
走行中にカーブで空いてしまったという。
ひとつ間違えれば大惨事だ。そういう意味ではMが無事で本当によかったと思う。
精神的に参ってるのに眠れなかったり、
何かの考えを巡らせてしまい、辛い思いを招いてしまう。
本人が能動的にそれを考えるのではなく、あくまで、そういう気持ちに自然になってしまうのだそうだ。
そんな中でも、病気の母、そして長女の問題など、
たくさん辛い現実と向き合わなければいけないMは、
本当はもっと休みが必要だ。睡眠だって必要。
人一倍休養だって必要なのだと思う。でもシングルマザーだし、そうもいかない時は多いだろう。
とにかく頑張ってるのは知っている。多くの人よりもきっと大変な現実に向き合ってる。
そんな自分や現実が嫌になってしまう。疲れてしまう。もう終わりにしたくなってしまう。
でも、昨日も調子が悪いとはいえ、一瞬調子が上向きになる時があった。
その流れで良くなれば良かったのだろうけど、
ちょっとそこから考え込んだラインがきて、昔の自分や周りとの比較などがはじまる。
そして、昨日のラインで、
「内容は言っても愚痴になるから」と話さなかったことを書き始める。
それは僕にとって、僕の必要のない過去で、
それを想像されてることが僕には嫌なのだけど、
それをMに言うと、想像ではなく、流れてくるのだ、という。
で、あれば仕方ないとも思う。
過去の失敗や終わった事、戻れないこと(まあ戻る必要もないのだけど)、
そんなことをまるでループするように考えてしまう。
調子の悪い時はこんな感じなのだ。
本当は、目の前に幸せはある。
捉え方を変えれば、対象を違う角度から見つめれば、
物事はまったく違う顔をみせはじめる。
道ばたに咲く名前もわからないような花にふと幸せを感じたり、
生きていること、その事自体が幸せだと気づくことがある。
でも、精神を病んでしまってるのだから、そういう考え方が、わかってはいても出来ないのだ。
普通なら、言われたくないことは言わないのだろうけど、それを止められない、とかも。
流れてくるからだ。そして、それこそが、ADHDの特徴とも言えるのではないか。
更にそこから、鬱状態になってしまっている。
薬の調整をしてもらった方が本当はいいかもしれない。
昨日の夜は、起きていても現実は辛いだけだからと、
レンドルミンを3錠飲んで、眠りにつこうと思ったという。
そして、そのラインが来てから数十分後に、メールが来た。
メールの内容はとても落ち込んでいて、
私は誰の事も幸せにできない、自分も幸せにできないのだから。
15年前に私の人生は終わってしまっている。
誰も巻き込みたくないし、傷つけたくない。
この現実は何かの報いなのか。
といった内容だった。
そして今のMに、それを読む僕の気持ちを想像することは困難なのだ。
だって、流れてくるものだから。
そして、夜中、結局眠れなかったとラインがあり、
僕が電話をすると、数分後に穏やかに寝息をたてて眠りについた。
思うのは、完全に休養が足りていない。
周りの理解がなさすぎる。悔しい程に。
ギリギリのところで踏ん張ってるから現実が辛くなってしまう。
そんなMを僕は支えていたい。それはもう、今僕が出来る最大限の愛情表現なのだ。
大丈夫って言い続ける。でも、Mも、ちゃんと病気を治そうという気持ちは大事だよ。
今朝は、起きるのも辛く、イライラしてカステラを二つ食べたという。
太ってるのもストレスなのに(本当は全然太ってないのだけど。むしろ、まったく痩せてる)、
化粧する気もおきないし、服を選ぶのもしんどい、という。
月の半分くらいはこんな感情なのだそうだ。
そんな日に次女を動物園に連れて行くらしい。
本当はこんな日こそ、もっと休まなければいけないのだ。
もっと休む事に積極的にならなくちゃ、とも思う。
我がままを言ったり、サボったり、後回しにしたり、
そんなことだって時には必要なのだ。
息が詰まらないように、上を向いて、爽やかに呼吸ができるようにするために。
いつも繰り返すけど、
ゆっくりでいいんだよ。
少しずつ、一歩一歩、進もう。
焦らないで、のんびり行けばいいんだよ。