(読みにくい部分や理念のところを、気がついた時に編集していますm(__)m)

 

それはもちろん、いつも"なるほど~"と納得してしまう

ミナミAアシュタールさんのブログを読んでいたおかげで、、、

 

遂に(やっと)、

 

地球(テラ)小屋をやろうって決心しました!!

 

これがテラに生まれてきた一番の目的なのかなと思います。

 

長いですが、読んでくださるととてもうれしいです~(≧▽≦)

 

↓↓↓

 

ここ最近、学校教育って何だろう?と疑問を持つ人たちが確実に増えてきたように思います。そういう人たちはフリースクールやホームスクーリングなどが頭のどこかにあるのではないでしょうか?

 

しかし、これを読んで今の学校教育に疑問を感じていない人たちは違和感を感じる人がいることも承知です。

押し付ける気もなく、同じように思ってほしいわけでもないのですが

もし違和感を感じないで読んでもらえる人がいたら

いっしょに地球(テラ)小屋を創っていけたらうれしいなと思って書いています。

 

わたしは、うん十年前の幼稚園に入ったころからずーっと、団体行動というものに違和感を感じてきました。なじめないんだな、これがまた、えーん(TT)

私は結婚が早く高卒の資格までしかないですが、特に高校の勉強たるや、その後の生活に何一つ役に立ってないと断言できる!!!劣等感だけは散々植え付けられましたが、高校までは出てないと、、、と言われて信じてしまった自分を、今思えばもったいなかったな、と思ってます。だから、末娘には中卒をお勧めしたら、本当に中学で卒業したっ!わたしが高校の時、自分はこのままでいいと肯定できていたら、さっさと辞めて人生変わっていただろうなと思います。でも、今の人生も捨てたもんじゃないと思えるからこの選択も経験するために必要だったのだなと今は思えます。

そして、311のあとくらいから、いろいろな情報の中から私が腑に落ちる情報が出てきて(主にミナミAアシュタールさんのブログ)、見れば見るほど学校教育とは没個性の鋳型工場のようなところで、比較と競争により、一番大切な人との信頼関係を築くことさえ難しくなり、評価を得るために本当の自分を失っていく子や、選択問題でその中での答え以外は考えてはいけないというトリック、答えは一つという弊害、善悪の判断による弊害など、ほんとうに人々がそのままの自分を生きづらくなるように教育されるところなんだなと思えてしまうのは私だけなのだろうか。

 

簡単に言えば、学校は”個”を尊重しないところなのだと私は思います。(今や学校だけじゃないけど、ここで最初に"個"は尊重されなくていいという洗脳をされてしまう・・・)

 

具体的にはどういうことかというと、

 

◦好き勝手してはいけない。

◦人に合わせなければいけない。

◦管理されている。

◦監視社会である。

◦没個性

 

さて、あなたは学校にいて幸せであると感じますか?

この5つだけでも、いじめのなくならない理由とは

子どもたちが管理され自由にできないストレスかと思います。

なので、無くそうとすればするほど反って奥底に沈めてしまう

ことになる可能性がある。

問題解決には、自由と信頼を多くすることが必要だと

思いますが、今の学校で自由と信頼を築けるのか疑問ですね。

 

 

・・・そして、次女が愛する孫を産みました。。。

 

どうする?

 

見す見す管理社会へ敷かれたレールに乗せますか?

 

どうする???

 

そこで湧いた思いは、、、

 

争いのない世の中が260年続いた、

江戸のような寺子屋を創ってみたいっ!!

 

でした。

 

江戸時代の庶民はほとんどの人たちが 

字は読めるし、計算も出来た・・

 

これは寺子屋という存在が大きかった。

庶民が字が読め、計算することができることを

進んで奨励していた幕府がいて

そこから大きな日本独特の文化が花開いた。

 

その頃の他の国々では、

ここまで庶民の文化が花開いた国はなかった。

貴族たちの中での文化はたくさんあるけれど 

庶民が文化を持っていたところはそうそうない。

どうしてかというと、

庶民に学問を許しているところが 

まずなかったから・・・

貴族などだけは知識を持っていたけれど、

どの国も庶民には教えなかった。

 

一方日本では

 

今でいうような学問は寺子屋では

教えていないけれど、しっかりとした建造物があった・・

 

それはすごい技術。

 

橋なども釘一本使わないで組み立て方式で

造っているものもある・・

 

(これは橋梁工学が進んでいると言われている

今の社会の技術でもつくることが出来ない・・・

ここに疑問を持った方がいい。

江戸時代に出来ていたことが伝承されていない!

というところ。

さも、現代の方が学問が進んでいるとされているだけで

ほんとうのところは、明治から西洋化した時から

技術が退化してきて、むしろ、ダムや埋め立てで

自然を破壊しまくり、反って土砂崩れを起こして

大災害になっているということに注目できれば

学校の教育とはなんぞや?

と思う人が少しは増えるかもしれない)

 

橋を作る事が好きだと思える人が 

その分野のスペシャリストとして誇りを持って造ったということ・・・

本当に好きだからどんどん研究に研究を重ねて 

素晴らしい技術を確立していった・・・

机上ではなく身体で覚えた知識。

そして、その橋を見て自分もこんなのを

作りたいと思った子どもがそのスペシャリストに

習ってその技術を伝承してもらい 

そこからまたその子が体験して得た知識を使い

次のものを作っていく・・・

 

みんなが好きなことを勉強して 

そのスペシャリストになっていく。

 

そして、それをみんなで提供しあう・・・

 

寺子屋では無理して今の様に好きでもない事を

無理に習うことはなかった。

 

好きなことをしていれば 

人はすごいパワフルになれる。

 

“個””個”が好きなことを自由にすることは、わがままでも、自己中心的でも、不調和でもない。

なぜなら、自由であれば自分を好きでいられるから。

即ち、自分を愛することができる。

自分を愛することができる人は、人も愛することができる。

愛に満たされた人は、誰かを傷つけたり、迷惑をかけることはない。

 

寺子屋と今の教育制度(学校)の具体的な違いは、

シンプルに言えば、

日常に必要なことを教えているかいないかの違い。

 

もう一つ決定的な違いがある、

それは愛と比例する自由の量

 

それが子どもたちの心を"閉ざすか"or"開くか"の違いにかかってくる。

自由の量の違いで大人になった時にどんなに違っていくのか?

あなたには想像できますか?

 

自由(愛)のたくさんある地球(テラ)小屋をやりたい!

 

生活に必要なことを目的をもって学び、

好きをスペシャリストにする場を創りたい!!!

と本気で思っています。

 

長い文章をお読みいただき、ありがとうございます。

最後に基本理念をお伝えしたいと思います。

 

 

【地球(てら)小屋 基本理念】

 

〇”個”の意思が尊重(大切に)される。

〇比較しない。

〇答えは十人十色。

〇人には好き嫌い得手不得手がある。学校では苦手をなくすことを指導するが、

好きなことをどんどんやってスペシャリストになればいい。(比較と評価は一切ない、洗濯物を乾かすスペシャリストだっていい。泥団子づくりのスペシャリストだっていい。)

〇テストなどというあまり意味のないものはやらない。

〇年齢で分けない。

〇生活に必要なことなので、年齢関係なく学べる。

〇無理に好きでもないことを学ぶ必要はない。

〇自分が常に納得のいくように、効率と速さには重点を置かない。

〇必要な時はそれぞれが得意なことを提供し合い、それが終わればまた次に必要なことを

得意な人たちが提供し合える環境である。

〇読み、書き

〇そろばん

〇知識を提供してくれる人には、いろいろなやり方があるけれど、自分のやり方はこうやっているとプレゼンテーションしてもらい、新たな知識によってそれぞれの認識や理解が更新されていく・・・(上から下へ教える一辺倒な教え方ではない)

〇それぞれ十人十色の受け取り方でいいという考え方。

〇姿勢を整える。

〇日々の生活を丁寧にする。

〇地球(テラ)を大切にする。

最後に一番大切なこと

〇たのしく過ごす。

以上です。

 

4つ前のミナミAアシュタールさんのリブログ、

”スペシャリストになっていく” | ぶほのブログ (ameblo.jp)

良かったら合わせてお読みくださいm(__)m

大好きなさくやさんのメッセージです。

 

今日もすてきな一日を!!!

 

       ぶほでした~(^o^)/