Tさん、

 

確かに選挙に不正があるわけがないと思っている人には、

 

ショックな結果だったと思います。

 

選挙についてわたしは、

 

やっぱりそうなったな"(-""-)"、と思いました。

 

◦選挙の数字は操作できる。

 

◦芸能人を使ってまで選挙に行け行け、というのには

 

自分たちが選んだ責任を押し付けるという理由がある。

 

など、知っているからです。

 

むしろ、もしみんなが選挙に行かなければ、

 

市民に責任を問うことが出来ないで、彼らにとってはダメージを負います。

 

幾ら選挙に行って投票しても数字は都合のいいように操作されている

 

とネタがバレていたら、行く人はいるのでしょうか?

 

わたしなら、離れます。

 

率直に言えば、政治家は要らないけど、農家は要るのですよ!

 

政治家は要らないけど、漁師は要るのですよ!

 

政治家は要らないけど、大工や職人は要るのですよ!

 

政治家はもう要らないのです、時代遅れなのです。

 

庶民がいれば何でもできるのです。

 

社会を回しているのは庶民で、政治家ではありません。

 

何が言いたいかというと、政治家がいなくても何も困らない!!!

 

ということです。

 

戦う必要すらありません。

 

戦う価値もありません。

 

庶民がそれぞれできることをやっていけば

 

社会はちゃんと回っていきます。

 

庶民がそれに気づくことができれば、

 

庶民が確りと自立することが出来ます。

 

政治家に頼らなくなります。

 

政治家たちは自分たちに頼ってほしいのです。

 

庶民も教育で権威者などに頼ることを教えられています。

 

問題なのは、庶民が自分たちには力が無い!

 

と思っていることです。

 

誰かに頼らなければ生きていけない!

 

と思っていることです。

 

でもただただ一人一人が自立すれば解決します。

 

自立すれば、戦う必要もなくなります。

(戦いたい人は戦えばいいと思いますが)

 

みんなで集まって運動する必要もありません。

 

なぜかというと、

またその中でリーダーを作って頼るようになるからです。

 

リーダーに頼りそのリーダーが思うようにしてくれない

と文句を言うことになる。

 

その繰り返し。

 

でもその原因は、自分たちが自立していないからです。

 

誰かに頼るのではなく、

 

一人一人が自分の得意を提供し回していけばいいのではないかな、

 

とわたしは思います。

 

もし電気工事して欲しいなら、

 

最初はまだ材料費がかかってしまうでしょうが

 

工賃安くしたり、無料にしたりすることから始めて行って、

 

そういう感じで、出来ることから行動していけばいいのではないでしょうか⁈

 

人と人が自由に手間返しをどんどんやって行けば、

 

気が付いたときにはお金のいらない国ができています。

 

戦いからは、戦いしか生まれません。

 

みんなで運動することもありません。

 

ただ自分たちがやり易い社会を自分たちで創っていけばいいだけだ、

とわたしは思います。

 

新しい方向性の社会なので、はじめはできるか?

 

不安や心配が出てくると思いますが、

 

そういう時は、その不安や心配さえも肯定して捉えてみる、

 

そうして、自分ができることから行動していくことが大切だと思います。

 

Tさんは、どう思いますか?

 

  

では、みなさま、

 

きょうもたのしくお過ごしください~(^0^)/

 

  ぶほでした~♪(^o^)♪

 

褒められたい、認められたい、感謝されたい、、、

 

無意識でそんな風に思って行動していることが多々ある

と、最近気がついた。

 

それはもしかしたら、小さいころ母親にじぶんを見てもらいたかった

小さな自分を置き去りにしてきてしまっているせいで

未だに、褒められたり、認められ足り、感謝されたりする行動を

無意識のうちにとり続けているのかも⁈

 

あぁ寂しかったんだ、わたし

ってやっと気がついた。

 

ほんとうに鈍感だな^^;

 

しつこいほど(主に家族とか)

世話をしてあげたり、気遣ってあげたり、、、

 

ということは、世話好きな人や、よく気がつく人などは

その傾向があるかもしれないな。

 

自分が本当にしたいことと少しずれていることをしていると

もし、しっかり感じられたら、、、

ちょっと無理をしてがんばっていると

しっかりと感じられたら、、、

 

心のリハビリが少しずつ進んでいるのかも。

 

いつも無意識に"見てほしい"と思って行動することが

当たり前になってしまっていると

自分が本当にしたいことが良くわからなくなって

しまったりするんだろうな。

 

なぜかというと、

行動の目的が他者に喜んでもらうこと!と

なってしまっているから

目的が自分が喜ぶための行動ではないから。

 

う~ん、いったいどうしたら

いつも自分中心に考えることが出来るのかな~

 

どんなことをしている時が心が温かくなるか、

わくわくするのか、

何もかんがえずに思わずしていることはどんなことか、

を思い返してみるのもいいのかも。

 

幼い時からの寂しかった思いをもっともっと表面に出して、

ちゃんと本気を出して

絡みついている糸をほどいていこうと思う、きょうこの頃。

 

ことしも箍を外して

ますます楽しく馬く生きていこう❕

 

ぶほでした(^o^)♪

 

 

 

"愛"とはなんぞや???

 

そもそも、愛を知っている人は

人を傷つけないし、相手を大切にする。尊重する。

 

だから、愛を知っている人が好き放題したとても、

人に迷惑をかけたりだとか、

傷つけたりだとか、トラブルなどは起きえない。

 

好き放題をして社会問題が起こる原因は

愛を知らない人が、人の事を大切に考えないから

結果として、迷惑をかけたり、傷つけてしまったりトラブルが起こるのだ。

 

でも、まさか

自分たちが"愛"を知らないなんて心にも思っていないから、ややこしくなる。

もう少し突っ込みを入れると、

"愛"を(意図的⁇)間違って教えられていることを知らない。

 

教えられてきたことは、

 

"愛"=自分のために何かをしてくれること。

"愛"=自分のために何もかも犠牲にしてくれること=すごく深く愛されている

"愛"=相手のために何かをしてあげること。

"愛"=相手のために自分を犠牲にすること=それがより深い愛である=美談

 

この"愛"に関する間違った教えが

世の中をおかしくしてしまっている大きな原因なのでもあるとわたしは思います。

 

誰かのために行動することは、その人のためにならない場合も多々あります^^;

 

お読みください↓(^o^)↓