批評するということ | 酒とアニメの日々(鯱雄のオフィシャルブログ)

クリエイターはなぜ批評してもらい、ユーザはなぜ批評するか。
そんなことを考えさえられることがあったので考えをつらづらと書いてみた。

ちなみに、この答えは「クリエイターが次によりよいものを作るため」である。
同時にこれは最低限のルールでもある。

ユーザがその作品を気に入って、次も同じテイストのものをリクエストしたいときには誉めればいい。
クリエイターはその路線を継承しつつ、新しいものにチャレンジすれば、ユーザを飽きさせることなくユーザのリクエストに応えることができる。
逆に、ユーザがその作品にダメなところがあるなら、そこを指摘することで次の作品でのマイナス評価を減らすとができるかもしれない。

クリエイターにとっては、それは自分が気付かなかった悪い点かもしれず、そこを直すことで良い評価が増えるかもしれない。「下手」でも「雑」でも「デッサン狂ってる」でも、これらは「次の作品をよりよくするため」のヒントとなるかもしれないということ。

このように批評はそのプラス/マイナスに関わらず、次の作品を良くするためのヒントが隠されていると言える。

しかし批評の中には「クリエイターが次によりよいものを作るため」には全く役に立たないものが存在する。
それが「作品の存在自体の否定」である。
存在自体を否定されたら、そんなもん「直しようがない」。
こんな批評は書いたやつの自慰でしかないし、クリエイターは無視するしかない。

というまさに作品否定のカキコミを某所でやられたてしまった。
UPした絵に「今すぐ消すべき」なんてタグを追加された。
さすがにこれには腹が立ったので、どんなヤツが書いたか見に行ったら、それなりに「デザインセンスのある絵」を描く人だった。
とはいっても絵自体はそんなには上手くなく、俺より下手とはいわないが、他人に「今すぐ消すべき」なんて言えるほどの腕前じゃないことだけは確か。あえていうなら勘違い甚だしい天狗野郎だった。

そのタグは今でも残してある。
消すなんて優しいことはしないよ。
恥さらしが恥さらしなりの恥をさらせばいい。

最後に、繰り返しになるが、批評する人は「クリエイターが次によりよいものを作るため」の批評をすることを心がけましょう。