谷から来た女 桜木紫乃 | なほの読書記録

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桜木紫乃さんが貝澤珠美さんと酒を酌み交わしながら会話をしたことをきっかけに、アイヌ民族の女性デザイナーと交差する人々との人間模様を描いた6話収録の連作短編集。




本書の主人公、赤城ミワはアイヌの出自を持ち、伝統的なアイヌ紋様を現代的にアレンジし、インテリアや衣服に取り入れるデザイナー。

ミワと出会い、接点をもち関わった人々の視点から、彼女の生い立ちからデザイナーとしての地位を築いた現在までが語られるというストーリー展開。


【あらすじ】


❶「谷から来た女」

2021年、50代半ばの北大教授・滝沢龍は研究は高く評価され学者として成功しているものの、妻との離婚で傷ついたプライドは回復できていない。


滝沢は地元テレビ局の番組審議会で、同じ委員だったミワと出会う。


二人は、雨宿りのつもりで入ったワインバーで意気投合する。


滝沢は、アイヌ民族としての矜持を持ち、アイヌ民族のデザイナーとして独自の世界を築いてきたひと回り以上年下のミワに惹かれ、やがて男女の仲になっていく。


二人は関係を深めて大人の恋愛を楽しんでいたが、滝沢の一言によってあっけなく関係が終わってしまう。


ミワは、「何ごともないように暮らしているけれど、あなたには見えない壁が、わたしには見えるんだ」と呟く。


滝沢とミワの間には見えない壁があり、その壁は容易に越えることができない。

そして二人ともその壁を越えて、相手の方へ行くことはしない。



❷「ひとり、そしてひとり」

2004年、ミワとはデザイン専門学校の同期生の引地千紗(21歳)は父親がおらず、母親は祖母の介護にかかりきりになっているため、夢見ていたデザインの仕事を半ば諦めて、昼間は札幌駅地下にあるアクセサリー店、夜はセクシーパブで働いていた。


千紗は、深夜のすすきので偶然再会したミワがアトリエを持つデザイナーになったことを羨ましく思う。


千紗はある事情から逃げるようにミワのアトリエに転がり込み、才能あるミワが親から受け継いだものと自分で身に付けたものを融合させて、オリジナルのデザインを生み出すために苦労をしている姿を目の当たりにする。



❸「誘う花」

1999年、教育通信の記者の譲司は、取材で出会ったミワ(当時は高校生)の弟・トクシがいじめられていることに気づく。


ミワは、「弟をいじめているのは、シサムとアイヌの両方です。同じ血が流れていたって仲良くなんかできないって、当たり前のことでしょ」と訴える。


学校でいじめられている弟を思い、ダム建設の反対運動をする父親に複雑な感情を抱いていた少女時代のミワ。


穣司は校長にいじめの件を伝えようとしたが、うまくかわされる。


忙しかったということを自分自身を正当化するための理由として、ミワからのいじめの相談を放置してしまう。



❹「無事に、行きなさい」

2015年、ビストロレストランシェフの倫彦は、恋人の新進気鋭デザイナーであるミワとの結婚を考える。


しかし倫彦はミワを裏切り、アルバイトの女子大生と一夜を共にする。


「アプンノ パイエ(無事に行きますように)」


風はどこへ向かうのか。



❺「谷へゆく女」

1982年、ホテルニュージャパン火災と日航機羽田沖墜落事故が立て続けに発生する。


ミワの両親が出会い、ミワが生まれるまでを描いた話。


母を亡くした中川時江は、高校卒業と同時に、文通相手の赤城礼良(大学4年生)を頼って北海道へ向かう。レラはアイヌ語で「風」という意味。



❻「谷で生まれた女」

2023年、北海道テレビプロデューサーの久志木は、ミワのドキュメンタリーを撮影するために「谷」を訪ねる。


ミワにとって「谷」は故郷であり、出自でもある。

その「谷」を離れ、そして再び「谷」で暮らしている。


「自身の出自を客観的に眺めるには、離れたところに立つ必要があるんです」


「谷」で生まれたミワにとって、「谷」がダムに沈んでも、そこは生まれたところであり、自分が帰るところであり、そして死ぬところでもある。


ミワの背中にある、父が彫った民族の誇りたる美しい紋様は、過去から未来へとつながる美しい誇りでもある。


背中の紋様を写したセルフポートレートを発表したミワは、「わたしは長いこと、背中に刻まれているものが自分を守ってくれていると信じてたの」と話す。


背中の紋様に守られてきたミワはつぶやく。

「わたしを守るのは、わたし自身だったんです」


【感想】


ミワは、凛々しく迷いのない言葉と瞳に強い力を宿した、誇り高く強い生き方をしている気高い女性である。


祖父は、アイヌ文化を守るために故郷の二風谷ダムの建設反対運動をしていた人物で、ミワもその血を受け継いでおり、背中には父が彫った鮮やかで美しいアイヌ紋様が刻まれ、民族の誇りを背負って生きている。


ミワは目に見えぬものに抗い、背中の紋様に守られ、「自分」の人生を歩んできた。


ミワの生き方を通して、アイヌの歴史や伝統、文化などについて、私たち一人ひとりが正しく理解することが、差別や偏見をなくすことにつながると、あらためて感じました。


【余話】


貝澤珠美さんは、アイヌ文化を正しく受け継ぐ平取町二風谷で生まれ、2008年の北海道洞爺湖サミットで、各国首脳に贈るアイヌ紋様の風呂敷を製作し、札幌市でアイヌデザイン教室を開いているアイヌ民族のデザイナーです。


渦巻柄が描かれたアイヌ紋様の装丁「二風谷の夕焼け」は、貝澤珠美さんの作品です。


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 日本国憲法では、すべての国民は個人として尊重され、また、差別されないとしています。しかし、アイヌの人々は、これまで就職や結婚などにおいて様々な差別を受けてきました。

 北海道を中心とした地域に古くから住んでいるアイヌの人々は、自然の豊かな恵みを受けて独自の生活と文化を築き上げてきました。

 しかし、次第に独自の生活様式や文化は侵害されるようになり、特に明治以降は、狩猟を禁止され、土地を奪われ、教育の場などでアイヌ語の使用が禁じられ、日本語を使うことを強制されるなどの同化政策が進められました。アイヌの人々は、生活の基盤や独自の文化を失い、いわれのない差別の中で貧困にあえいできました。

 アイヌの人々に対する誤った認識などから、今なお差別や偏見は残されています。


《「東京都の人権課題」東京都総務局人権部より一部抜粋》