山ぎは少し明かりて 辻堂ゆめ | なほの読書記録

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I'm really glad to have met you.



辻堂ゆめ さんは30代になって間もない若い作家さんですが、年齢を重ね、多くの人生経験を積まれて円熟された方のような美しく深みのある物語を書かれ、感銘を受けました。



【第一章 雨など降るも】

孫の都は、個性も特技も肩書きも何もないからと就活を有利に進めるためにイタリアへ海外留学するものの、環境の変化についていけずに「適応障害」となり、1か月と少しで実家に帰ってきてしまった。

都はこのことを友人にも彼にも伝えられず、引き篭もりの日々が続いていたある日、台風19号の被害で長野県が実家の彼と連絡が取れなくなってしまい、居ても立っても居られずに家を飛び出して


【第二章 夕日のさして山の端】

娘の雅恵は、瑞ノ瀬の母親の実家の土地を売り、都会に出ることを選択した。

事務用品販売会社に勤めていた同僚と結婚して石井雅恵となるが、夫は上司や先輩社員と反りが合わず、仕事を辞めて家に引きこもってしまう。

仕方なく、雅恵が出世を目指して働き続け、夫は家事を担うことになった。

結婚して37年となるが、年々無口になる夫、食事中でもすぐにスマートフォンの画面を覗き込む娘の都。

雅恵一人が積極的に話題を提供しても、相手がいないようなものだから、会話が盛り上がることは無に等しくなっていた。

両親よりも立派に、そして幸福に生きる義務があるとの思いから42年間、脇目も振らず精力的に働き続けて女性初の管理職、営業部長となり、定年ももう間近に迫っていた。

そうしたときに、自宅にいる夫から端ノ瀬湖のそばの裏山(北柴山)から人の白骨が発見されたとの電話を受けて


【第三章 山ぎは少し明かりて】

瑞ノ瀬村に暮らす佳代、千代、三代の三姉妹は、美しい自然の中をかけまわり元気に暮らしていた。

大切な人、同級の孝光が戦後しばらくして戦地から帰ってくる日も、村中から祝われながら結婚式を挙げた日も、家で一人娘の雅恵を産んだ日も、豊かな自然を讃えた山々の景色が、佳代たちを包み込み、見守ってくれていた。

だが、そんなあるとき、二人にとって幼い頃からの思い出のある瑞ノ瀬村に、ダム建設計画の話が浮上する。

佳代たちの愛する村が、湖の底に沈んでしまうという。

佳代は夫の孝光と共に懸命に反対運動に励んでいたのだが、突然、孝光が行方不明になってしまう。

佳代が守りたかったもの、それは...



令和から平成、そして昭和へさかのぼり、それぞれが生きる時代の違いやその時々の状況下において、湖の底に沈んだ瑞ノ瀬への想いは異なっており、三世代の母娘が心の中に抱えている大切なものをとても丁寧な文体で表現されていました。


特に第三章、佳代さんの人生が記された内容は感動的で素晴らしく、戦争という激動を乗り越えた家族愛と、古きよき故郷の姿、里山の風景が心に刻み込まれました。

ラストの佳代さんの手紙は、心にじーんときました。


人の痛みや寂しさに共感し、寄り添うことができる、三世代にわたる母娘の大河ストーリーでした。



私自身、筆者が執筆の際に参考とされた宮ヶ瀬ダムへは40年以上前、今ではダム湖の底になってしまったの中津渓谷があった頃からドライブでよく訪れていましたが、ビフォー・アフターでは本当に全く違った風景となってしまい、隔世の感があります。

中津渓谷にあったお茶屋さんの板張りのデッキで、中津川の渓谷美を楽しみながらお茶をしていた頃を、とても懐かしく思い出しました。



宮ヶ瀬ダムのリンク先

https://www.town.aikawa.kanagawa.jp/aikawa_kankoukyoukai/Experience_play/1497522521738.html


 

愛川町郷土資料館のリンク先(宮ヶ瀬ダムの過去がわかる動画が見られます)

https://www.town.aikawa.kanagawa.jp/shisetsu/bunka/6843.html