存在のすべてを 塩田武士 | なほの読書記録

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I'm really glad to have met you.



今年読んだ本の中で、すごく読み応えのある一番よかった本です!

ネタバレになるといけないので、ざっくりと概要を記します。

平成3年に発生した誘拐事件から30年。
当時警察担当だった新聞記者の門田は、旧知の中澤刑事の死をきっかけに、画家となっていた被害男児の内藤亮の「今」を知る。
事件の真実を求め再取材を重ねた結果、写実画家の野本貴彦の存在が浮かび上がり、その足跡を辿っていく。

東京から滋賀そして北海道と移動しながら亮を匿い、育てた野本貴彦・(木原)優美。
それを援助した銀座の画商・岸朔之介、息子の岸優作、北海道・伊達の実業家・酒井龍男。
そして内藤亮(如月脩)の同級生・土屋里穂。
それぞれの人生が奇遇にも交錯する。

事件の真相を諦めずに追求し続け、見極めようとする中澤刑事と支局長となった門田の執念。
写実画家の野本貴彦と内藤亮の作品に対する情熱。
貴彦のアトリエに流れていた「Longing / Love 」を聴いていた亮。
野本イズムが流れている亮の写実画。
野本貴彦の背中を追う亮の作品。
目に見えているのに気づいていない、そんな存在の美しさをこのように表すために絵筆を握り続けてきた貴彦と亮。
育ての親である野本夫婦の子供に対する深い愛情。
George Winston の奏でるピアノのメロディー「 Longing Love」の曲に重なる里穂と亮の交差する互いの思い。

心打たれ、感動の終章(ラストシーン)で幕が降ろされました。
この先の展開(続き)がきっとあるのでしょうが、それは読者に委ねられたように思いました。

貴彦と優美が新婚旅行で行ったハワイのホノルルで、沈みゆく夕陽が空を幻想的な色に染め始めた時、海の見えるバーでピアニストが奏でていた曲が、亮と里穂が横浜港シンボルタワーの階段での出会いの曲であるというところがロマンティックですてきでした。

ホキ美術館に展示されている野田弘志さんのアートを観に行きたくなりました。


これから本書を読まれる方へ

【公式】塩田武士『存在のすべてを』9月7日発売 asahi.comWebサイトをご覧になられることをお勧めします。特に、「門田次郎取材写真ギャラリー」はぜひご覧ください。

また、文中に何度か、ジョージ・ウィンストンの「Longing / Loveの曲名が出てきますので、その際にはこの曲をBGMにして聴きながらを読まれてみてください。


《本文中の気に入った一節》


〈酒井龍男の言葉〉

「苦労のない人生は振り返り甲斐がない」


〈岸 朔之介の言葉〉

「誰かを恨んで死ぬか、前向きに倒れるか」


〈野本貴彦の言葉〉

「写実画を描くということは『存在』を考えること」

「これからの世の中がもっと便利になって、楽ちんになる。そうすると、わざわざ行ったり触ったりしなくても、何でも自分の思い通りになると勘違いする人が増えると思うんだ。だからこそ『存在』が大事なんだ。世界から『存在』が失われていく時、必ず写実の絵が求められる。それは絵の話だけじゃなくて、考え方、生き方の問題だから」


「情熱と非効率は親和性が高い」

「美しいものほど早く消えてしまう」


「たとえ会えなくても絵でつながることはできる。画家は孤独を恐れてはダメなんだ。最後は自分との闘いだから」


〈門田次郎の言葉〉

「貴彦と亮の『実在』を書きたいと心の底から思う。生きているという重み、そして生きてきたという凄み」


〈貴彦が好んで使っていたダ・ヴィンチの言葉〉

「芸術に完成はない。諦めただけだ」

「芸術に完成はない。どこかで線を引く必要がある」


〈野本貴彦〉

「託す幸せ」親が子に思いを託し、先輩が後輩に経験を託して社会は前へ進んできた。自らがリングを降りる寂しさや無念は、誰かに託すことでしか消化できない。受け取ってくれる人がいる。


〈土屋里穂〉

これまでは、好きな人と結ばれることが幸せだと思ってきた。でも、今は違う。忘れられないほど好きな人、どんな道を歩もうともずっと太陽のように自分の心を照らしてくれる、そんな人と巡り会えることが、本当の幸せなのだと気づいた。

【「存在のすべてを」塩田武士 著 朝日新聞出版より一部引用】