笑うマトリョーシカ 早見和真 | なほの読書記録

なほの読書記録

I'm really glad to have met you.


プロローグの座右の銘「生者必滅会者定離」(しょうじゃひつめつえしゃじょうり)


生きるものは必ず死に、出会ったものは離れることが運命。たとえそれが死別であったとしても、生き別れであったとしても。

マトリョーシカを一体、また一体と開いていく。最後の一体こそが、このマトリョーシカの肝だった。一定の比率で小さくなっていく他の人形とは異なり、最後の一体だけは親指程度の大きさに突然サイズダウンする。そこに描かれているのは、外側の一番大きな人形と同じ少年の顔。しかし、最後の一体も笑ってはいるものの、外側の人形と笑顔の種類が全く違う。眉間のあたりに影を作り、上目遣いで、その一体だけがなぜか不気味な笑みを浮かべている。

一番小さい子の少年の顔、よく不気味だと言われているが、怒りに駆られているようにしか見えない。腹の底にため込んだ怒りの発露の仕方がわからず、顔が歪んでしまっている。平静を装った表層的な顔の裏に、潜んだ怒りのようにしか見えない。

官房長官へと上り詰めた清家一郎をコントロールしているのは誰なのか。そして最後に笑うマトリョーシカ🪆とは?

「あなた方が指摘する清家の正体こそ、僕にしてみればはっきりと演じられた清家一郎だったんです。でも、その演じている清家一郎だって、どうしようもなく生身の僕自身である。僕は自分という人間を誰よりも分かっているつもりですが、その誰よりも分かっているはずの自分のことが理解できていないんです。本当の僕が分からない。何が本当か分からない。僕は本当の自分なんて結局いないと思うんです。僕が生まれて最初に出会ったのは母なんです。その瞬間から、僕は彼女の影響下にあったに決まっています。物心がついたときにはもう喜ばせたいと思っていたのですから。僕は、誰かを喜ばすためだけに生きることの人間なんです。そういう風に作られてきたんです。」

真綿のように人の意見を吸収してしまう清家一郎。

操り人形のような清家一郎を陰で操っているのは、高校時代からの友人、鈴木俊哉か、母親の浩子か、恋人の三好美和子か、あるいは......。謎を解き明かしていくジャーナリスト道上。

「ああ、また自分が大失敗をしでかしたのだということを突きつけられ、いつものように母からぶたれるのだろう」と覚悟を決める幼少期の一郎。

一郎の父である官房長官の和田島芳孝も「去年の秋にお母さんをなくしてね。以来、胸に穴が空いた感じがしているんだ。僕にはお母さんがすべてだったから。僕を代議士にしたいというのもお母さんの夢だった。今の僕は何のためにこの仕事をしているのかもよくわからないよ」

「誰かを自分のものにしようとするならば、うしろめたさを植えつけること」と一郎に教える母。

幼少期の成育環境において、他人との関わりに歪んだ価値観を植え付けられたうえに、その存在は祖母と母親が抱く「日本への復讐(仇)」のためだったと悟った一郎。

「政治家というものは、いや、優秀な政治家というものはおしなべてペルソナを被っているもの。有権者からどれほど清廉潔白に、あるいは豪放磊落(ごうほうらいらく)に見られていたとしても、それは結局そう見せたい自分を演じているだけのこと。かぶっている画面を剥がしてみたら、全く違う顔が出てくるなんてことがザラにある。本人が仮面をかぶっていることを忘れてしまうくらい、それはもうみんな見事にその役に徹している。」

「政治家にとって、偉大なカリスマ性も、確かな政治思想も、抜きん出た政策立案能力もそして必要ない。強いて言うなら、選挙のための時間と金、運、そして秘書や官僚を始めとする優秀なブレーンさえついていれば、政治家などそれなりに務まってしまう。しっかりと有能であることを演じ続けられるのなら、ある程度まで出世だってできるはずだ。」

政界という魑魅魍魎の世界で、実はニセモノを完璧に操れるホンモノのブレーンが、マニピュレーター(他人の心を操る人)が、陰で国(日本)を動かしているのかもしれない。

「選挙戦に限って言えば、水面下で献金が飛び交うようなわかりやすいやりとりはほとんどないと断言できる。少なくとも表に立つ候補者は体育会系よろしく、どれだけ額に汗することができるかが全てであり、青春映画の主人公のようながむしゃらな気持ちで立ち向かっている。」

「出世する政治家に必要な特性を一つだけ挙げろと言われたら、地盤や金でなく、カリスマ性や政策立案能力でもなくて、私は「体力」と答えるだろう。どんなに大変な状況に叩き込まれた時も、疲れた様子を絶対に見せない。それこそ機械や人形のようにいつも同じ笑みをたたえている。」

はたして誰がマトリョーシカの最後の核なのか。マニピュレーター(他人の心を操る人)は誰なのか?

人は思い込みや先入観、固定観念、偏見で他人を見てはいないだろうか?

読者である私にしてみても、自分自身のことがよくわからない。表面的にはわかっているけど、深層にある本質的な部分はどうなのか、実は自分でもよくわからない。


自分のことすらわからないくせに、他人のことはわかったつもりでいる。「この人はきっとこんなタイプ人だろう」と決めつけてきしまう。

最後まで操られていたのは⁇?

実は読者である私自身が早見和真さんに操られていたように思いました。


しまなみ海道を自転車で渡って、道後温泉、松山城、宇和島城、天赦園、そして愛媛県南宇和郡愛南町外泊の集会所、石垣の里の集落に行ってみたくなりました。