藤原という男。 | シャバダバふじオフィシャルブログ「ウェルカムトゥーふじ」Powered by Ameba

藤原という男。


こんばんは!

シャバダバふじです。


今日は親友の藤原寛之という男について語りたいと思います。


藤原というのは、
小学校から、
中学校、
高校、
そして一緒に上京してNSCまでずっと一緒でした。


中学の時にもうひとり、うーたんという親友と
『ハイテク』というお笑いトリオを結成して、
卒業式で生徒親御さんの前でコントをしたりしてました。

高校もこの三人で同じとこに一緒にいったので本当に毎日ずーっと一緒にいました。

本気で進路を考えるときになり、うーたんは脱退。

僕は本気でお笑いをやりたかったので藤原を誘い、二人で芸人を目指すことになりました。

高校三年のときに始まったM-1グランプリ。
学校を一週間休みネタ作り。
予戦の一回戦広島大会に間に合わなかったので、必死でバイトして東京の一回戦に参加。
奇跡的にむちゃくちゃウケて、素人ながら一回戦突破。
またバイトして交通費貯めて二回戦で再び東京へ。
藤原と2回目の舞台にして天下のルミネtheよしもとで漫才。
MCは千原兄弟さん。
むちゃくちゃスベりました。
だけと達成感がありました。
同級生みんなが受験や就活頑張ってるなか、漫才してました。
だけどみんなに負けないくらい必死でやってました。

そのまま上京して吉本の養成学校NSCへ。
二年間頑張りました。
いや、頑張ってなかったかも。
嫌ってくらいスベりました。
誰にも認められませんでした。
このままやってて意味があるんだろうか。
むちゃくちゃ考えました。
『ハイテク』は売れない。
僕はそう思い、絶対に売れたかったので、
藤原との解散を決めました。
そして別の相方とシャバダバを結成しました。

正直、今思っても間違った選択はしていないと思います。

僕が藤原を誘って東京に出てきたくせに、僕が藤原に解散を告げました。

僕は解散後、自分から藤原に連絡することができなくなりました。

なんか後ろめたくて。

当時、家は横のアパートに住んでいたのに、全く会わなくなりました。
あんだけ一緒にいたのに。

気づいたら勝手に気まずくなってました。

藤原はそんなことなかったのに。


数年がたち、当たり前のように何もなかったかのようにまた連絡を取るようになりました。
でも僕はシャバダバの事を藤原に全くしゃべってなかった。
あらびき団に出たときも、エンタの神様に出演が決まったときも言えずいたのに、藤原は全部見ててくれて、『シャバダバ』ってコンビ名すら教えていなかったのにブログも毎回読んでてくれてたみたいで、むちゃくちゃ応援してくれていました。

そこからは事細かく自慢したり、解散して今の道を歩いてるのも全部話したりしてます。




そんな藤原が昨日結婚しました。




ものすごく綺麗な奥さんでした。
地元広島からも親友たちがたくさん来てみんなでわいわい騒ぎまくりました。


藤原の兄貴ふたり、おじちゃん、おばちゃんにも10年以上ぶりに会いました。


藤原の結婚は正直僕は特別な気持ちがありましたが考えないようにしてました。

最後の藤原のおじちゃんのスピーチで
「お笑い芸人を目指して上京しましたが才能がなくて辞めました。藤井くん、ちょっと立ってくれ。彼と一緒にお笑いを目指していました。」

急にそう言われ、スイッチが入ってしまいました。


最後、新郎新婦が退場した後、会場に流れたVTRで出席者全員にメッセージが流れました。


藤井 浩貴様
毎日忙しそうだな。
またゆっくり飲みにいこうな。


このメッセージを見た瞬間我慢してたものが全て出てしまいました。

俺から藤原の夢を絶ったのに。
俺が藤原の人生を変えてしまったのに。


毎日忙しそうだな。


この一言が嬉しすぎて、今までの事を全部思い出してしまって泣き崩れてしまいました。


会場を出るときのお見送りで、藤原のおじちゃんが僕の手を握って言ってくれました。
「お前が誘ってくれてんかったら、今の寛之はおらん。結婚できんかった。ほんまにありがとう。」
その一言で僕は救われました。
今までの事が全て帳消しになったような。
勝手に後ろめたくなってた自分が恥ずかしくなって。


藤原の兄貴にも同じ事言われました。


何が言いたいかよくわからくなりましたが、


藤原の結婚は誰よりも嬉しいです!!


僕は誰よりも藤原には特別な感情があります。


藤原本当におめでとう!!


ブログじゃないと言葉まとめられないし、
今まとめとかないと後悔するから、
ブログに書かせていただきました。



長々と最後まで読んでくれてありがとうございます。




藤原いつまでもお幸せに(^_-)☆

落ち着いたらふたりで飲みいこう!
連絡する!