「山口メンバー以降、もうバラバラだったじゃん」

「農業やってるグループが解散って、どういうこと?」


そんな声もネットには飛び交っていますが……

なんというか、TOKIOって“解散しなさそうなグループNo.1”だったからこそ、

このニュースの衝撃はちょっとした地殻変動レベルです。


そして今回明らかになったのは、

その決断の裏にあった、“人と人との静かな物語”でした。



太一の涙、松岡の嘘、山口の言葉

記事によれば──

国分太一さんは、電話口で号泣しながら「申し訳ない、申し訳ない」と繰り返すのが精いっぱいだったそうです。

松岡昌宏さんは「広報担当」として帽子を取り、矢面に立って説明を尽くしたそうです。

その姿勢に記者たちから拍手が起きたほどだったといいます。

山口達也さんは、「孤独からの脱却」をテーマに講演を行いました。

壇上で彼は、静かに、しかし力強く語ります。


「自分は人生で誰にも助けを求めずに生きてきました。人の相談はたくさん受けてきたけど、自分から『助けてください』とは言わなかった。自分は自分でやれると思っていたんです。でも実際はそうじゃなかった」


「不祥事を起こし、事故を起こして人に迷惑をかけました。病院に行き、自助グループに入って、自分以外にも苦しんでいる人がいるということを知りました。そこで、はじめて“助けてください”と言うことができたんです。自分のことをようやく知ることができました」


TOKIOという言葉は、講演では一度も出てきませんでした。

けれども、その言葉の背後にある「悔い」と「学び」は、かつての仲間たちへの無言の応答でもあったのかもしれません。


名前を呼ばずとも、心の中で語りかけることはできる。

苦悩と再生の只中にいる人間の言葉は、それだけで、聴く者の胸を打ちます。



仏教的に言えば──「縁起」と「別離」

仏教には「諸行無常」と「縁起」という考え方があります。


すべてのものは変わりゆき、

すべての関係には“はじまり”があれば“おわり”もある。


そして、その「おわり」に立ち会ったとき、

誰かが傷つかないようにと“優しい嘘”をつく人がいる。


それは、悪ではなく慈悲のあらわれかもしれません。解散という決断の裏で、松岡昌宏さんが記者に向かってこう語ったそうです。


「この形(解散)になったので、もう何があったかはいいです」


まるで、心の扉をそっと閉じるように。

その口調は、“吐き捨てるように”とすら表現されました。


けれども、それは怒りや拒絶というよりも、

すべてを飲み込んだ人間だけが出せる「諦念」と「やさしさ」だったのかもしれません。


もちろん、松岡さんたちが何も知らないということは考えにくい。

事情をすべて把握したうえで、あえて語らず、矢面に立ち、国分さんや被害者を思って沈黙を貫いた──

それは“優しい嘘”だったのでしょう。


報道陣の質問に、松岡さんは最後まで正面から向き合い、

話せる範囲で答えようと努めました。

その姿勢に、自然と拍手がわき起こったといいます。




こうした対応に、私たちは「誠実」と「責任」の重さを見せられます。

語らないこともまた、一つの答えであると、気づかされるのです。






「ザ!鉄腕!DASH!!」で植えたもの

TOKIOは、歌って、叩いて、育てて、走って、釘打って、舟漕いで、

そしてなにより「見えない人間関係」を丁寧に育てたグループでした。


表舞台から姿を消しても、

彼らが植えた「希望の苗」は、私たちの記憶の中で今も育っています。




「別れ」ではなく「卒業」と呼ばせてください

TOKIO解散、それは“人間関係の終わり”ではなく、

“役割の終わり”かもしれません。


仏教でも、「無常を知ってこそ、人は深く生きられる」といいます。


だから今日も、誰かと別れる人へ──

この言葉を届けたい。


「会うは別れの始まり。

でも、別れは新しい縁のはじまり。」


南無阿弥陀仏──娑婆曼荼羅でした。