2023年はどんな年だったかと聞かれ、「フランス語の一年でした。」と答えた。4月から5月にかけて学校へ通い、その後は独学し、先月に一つ、そして今月もう一つの試験を終えたところ。

 

もちろん日本語レッスンでもあれこれあったのだが、学習者の前で語るわけにもいかず、このブログが吐き出し場所になっている。タイトルにある欠伸もその一つ。

 

ま、これは大した悩みではないから後で書くとして、今年は試験勉強を通じて社会について考えた一年でもあった。年内に全て記したい。間に合うか。

 

複数のテキストやpodcastで取り上げられていた話題の一つが、≪ reconversion ≫:「(業種を変えるレベルの)転職」だった。

 

私もreconvertis(reconversionした人達)の一人だけど、そこに至った経緯は人それぞれだと思う。burn out(燃え尽き症候群)も一因かと。これも勉強中に3回は出合った話題だ。

 

20代の頃、フランス人たちと働いていたことがある。公的機関と民間企業の2か所。あれから20年が経ち、burn out(épuisement professionnel)という社会現象に驚くと同時に妙に納得する。

 

↑ここにも書いたように以下の言葉は当時、上司や同僚から頻繁に言われていたこと。

 

Il n'y a pas le feu.  
火事は起きていない → 慌てることはない。

 

Pas de panique. 
パニックにならないで。

 

Prends du recul. 
距離を置いてみて。(冷静になるという意味)

 

私にとっては、学校教育に始まる日本人的な考え方、働き方から解放してくれる魔法の言葉だった。だからburn out があちらでも社会問題になっているのを残念に思う。

 

フランス人との日本語レッスンであれ、フランス語の口頭試験であれ、機会を見つけては「この2、30年でフランス人は変わりましたね。」と言ってみるのだが、相手はポカンとしている。

 

外から見るほうが、よく見えることもあるようだ。よく見えるからと言って、逐一指摘する必要はない。それは欠伸についても同じ…と、どうしても気になる話題に無理やり繋げてみよう。

 

出だしに書いたのは昨日のレッスン。この方は終業後に日本語を学習している。欠伸「常習者」の一人。午前中、昼間は誰も欠伸しないから決してレッスンが退屈なのではない。

 

と思いたい。ただ大画面で欠伸されるのは嬉しくないから対策を講じている。話題や画面を切り替えることで飽きさせない。教科書をめくらせることで脳に刺激を与える等、地道な努力。

 

でも、もっと効果的な方法がある。相手に話をさせること。昨日、相手の目が涙で潤んでいるように見えたのは、欠伸のせいではなかったはず。確かにこれは欠伸できない内容だ。

 

(大人の外国語学習は単に話すだけではいつまで経っても上達しない。家で外国語を話している私の実感。でも、たまにはいいか。)

 

 

ところで、もう一人、欠伸常習者がいる。夜9時(日本時間朝5時)のレッスン。今日は、欠伸が一つ、欠伸が二つ・・・と数えたくなるほどだった。昨日から一勝一敗ということか。