最近の楽しみ。ふくらはぎを触ること。家にこもり過ぎて、気がふれたのか。いえ、ふくらはぎの張り具合を確かめているだけです。
 
日中、ほぼ家で過ごし、外出するのは早朝と夜間。連休中、ジョギングの回数を増やしましたが、それでもヨガレッスンの後、筋肉痛になりました。
 
ピラティスレッスンは、連休を挟み、2週間ぶりだったにもかかわらず、ウォーミングアップとして四股(しこ)立ち。膝と同じ高さまで腰を下ろします。
 
キープする時間が長く感じられたのは気のせいではなく、ゆうに30秒は超えていたはず。その後、右のかかとを上げてキープ。下ろして、左のかかとを上げてキープ。
 
を数回繰り返し、最後は両かかとを上げてキープ。心地よい筋肉痛が続いています。そこにジョギングを組み合わせたときの相乗効果。「生きている」のを実感します。
 
今朝も一走り。決して長時間、走るわけではなく、心身ともにすっきりした状態で朝を迎えるのが目的です。身体が重い時は無理をしません。
 

 
先日、思い出した詩。中学生の頃だったか、国語の授業でも習ったように記憶しています。
 
ある日、ジョギングから戻り、天井を眺めながらストレッチをしていたとき、ふと読み返したくなりました。
 
谷川俊太郎さんの「朝のリレー」
 

カムチャッカの若者が
   きりんの夢を見ているとき
   メキシコの娘は
   朝もやの中でバスを待っている
   ニューヨークの少女が
   ほほえみながら寝がえりをうつとき
   ローマの少年は
   柱頭を染める朝陽にウインクする
   この地球では
   いつもどこかで朝がはじまっている

   ぼくらは朝をリレーするのだ
   経度から経度へと
   そうしていわば交替で地球を守る
   眠る前のひととき耳をすますと
   どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる
   それはあなたの送った朝を
   誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ

 

朝のリレーを終えると、日常に戻ります。今週は少し早めの衣替えも兼ね、子供部屋を整理整頓。息子は普段、リビングで過ごすことが多く、子供部屋は物置と化しています。

 

私も毎年大晦日、部屋の掃除が終わらず、父親が「紅白始まるから下に降りてきていいよ」と言ってくれるのを待っているような子でした。

 

そんなズボラの楽しみと言えば、懐かしいアルバムを開いたり、思わぬものを再発見したり、そうして、ますます作業が進まなくなるわけです。

 

 

子供部屋で見つけたものの一部。なかでも、社会の教科書に載っていたスーパーのイラスト。日本語レッスンに使えそうです。子供部屋は、教材の宝庫。

 

ところで、小6になった息子。先月、国語の授業で、同じく谷川俊太郎さんの「生きる」という詩を習いました。

 

ジョギング、「朝のリレー」、部屋の片付け、教科書、「生きる」。すべて繋がっているような気がします。ふくらはぎを触ることも(笑)

 

谷川俊太郎さんの「生きる」を引用させていただきます。

 

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬がほえるということ
いま地球がまわっているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ