10連休の間、ピラティス、ヨガのレッスンはなし。その代わり、ジョギングの回数を増やしました。

 

準備体操を軽く済ませ、マンションの階段を下り、公園を目指して歩きます。
 
 
公園の入口に繋がる坂。そこそこ傾斜があります。ジョギングのスタート地点です。目に見える傾斜。しかも走り始め。なんてことありません。
 
上り切ると、続いて、下り坂。膝に負担が掛からないように速度を落とします。そして、ようやく平坦な道。
 
と思ったら徐々に足が重くなります。緩やかな上り坂。ところどころ、でこぼこがあり、足を取られます。
 
私はグレーに黒の上下という姿。とっても地味なのですが、走っていると、見返り美人ならぬ、見返りオジサン(または、オジイサン)に遭遇します。

 

 
サングラスを掛けているからでしょうか。男性の中にもサングラスを掛けて走っている人はたくさんいるというのに。
 
確かに早朝ジョギングする女性は少ないでしょう。仮に「女性なのに頑張ってる」という眼差しであっても癪に障ります。今朝も、ちっと舌打ち。
 
犬や猫、または、赤子が動くものを目で追うのは理解できます。それが、オジサンやオジイサンとなると、全く可愛くないのが不思議。
 
この風景を独り占めできると思うと、早朝ジョギングはやめられません。
 

私の息子は11歳。息子が9ヶ月のとき、再就職しました。それから10年余り、計3つの大学で事務員として働きました。非常勤職員として。派遣の時もありました。

 

大学で働きたかったわけではなく、選択肢がなかったため。

 

マザーズハローワークにも行きました。主婦を対象に大量募集をかけていたテレフォンオペレーターの説明会にも参加しました。田舎から母に出てきてもらい、子供を預けて。

 

仕事を探し始めたのは、息子が6ヶ月のとき。妊娠4ヶ月で前職を辞めていたため、1年以上のブランクでした。選択肢は限られます。就活と保活が同時進行ですから。

 

仕事から離れ、社会との接点もないと、すっかり自信を失うものなのですね。電話口で「残業ありますか」と質問せざるを得ず、そして「やっぱり辞退します」となるわけです。

 

新卒で入社した会社に居続けるべきだったのでしょうか。私が入社した2000年は産休、育休を取る女性が出てきた頃。同時に派遣社員等、非正規労働者が増え始めた頃。

 

語学も使えず、お茶くみを頼まれるような環境にいると、非正規が魅力的に見えてきました。でも、お金がものを言う社会では、レールから外れると、下り坂を転げ落ちる一方なのですね。

 

30歳で妊娠したとき、商社の派遣社員になったばかりでした。はい、私が悪うございました。1年半待っての妊娠。喜べませんでした。

 

営業の男性社員からは「最後までしっかり働いてから辞めてや」。女性社員たちはきっと陰口を叩いたでしょうが、表面上は一切触れず。

 

心が救われることもありました。「冷やしたらあかんよ」と唯一、声を掛けてくれたのは、シングルマザーとして子育てする、パートの女性でした。

 

同じ年か、少し下と思われる派遣会社の担当者。イヤな顔をされるだろうなと思いながら妊娠の事実を告げると

 

おめでとうございます。

 

と笑顔で言われ、拍子抜けしました。

 

会社側への説明、代わりの人員探し等々、余計な仕事が増えたにもかかわらず。それからも職場にちょくちょく顔を出してくださり、退職時には温かいメッセージまで頂きました。

 

繁忙期に向けてピリピリしていく職場の中で、ますます居心地が悪くなり、結局3ヶ月で辞めました。だから就活と保活を同時進行させる羽目になったのです。自業自得でしょうか。

 

 

2018年に発表された育児休業取得率。女性は83.2%だそうですが、にわかには信じがたい数字です。

 

からくりが隠されています。第一子出産後に約60%の女性が離職。約40%の継続勤務した女性のうち、育児休業を取得したのが83.2%ということ。

 

大学時代の友人で育休を取得した人、ほとんどいません。出身大学の女子。今はどうか知りませんが、当時は、負けん気の強い人も結構いました(だから嫌われるのですが(笑))。

 

果敢にも氷河期に総合職で入社した友人も多数いました。20年後、同じ会社で勤務しているのはどれくらいでしょう。かなり少ないと思われます。

 

私は3年生が終わった時点で、1年間休学して、留学しました。友人たちは就活真っ最中。手紙には熱い思いが綴られていました。

 

 

なかでも、ジョギングサークル仲間で、女子就職プロジェクトの代表を務めていた友人。180人を前にして、報告会を終えた後、長文の手紙を送ってくれました。

 

結論として、

 

「私たちが働き続けていくための環境は整いつつある。大切なことは、自分がどんな人生を送りたいのか、その中でどのように働き続けていきたいのかを学生時代にしっかり考えておくことである」というものです。しいちゃんはどう? このことについてまた話し合えたら嬉しいです。

 

と書かれてありました。残念ながら、九州出身の彼女とは卒業後、疎遠になりました。学生の頃、思い描いた人生を送っているでしょうか。

 

時代を感じるワープロ打ち。字が消えてしまう前に、コピー取っておきます。

 

世の中のからくり。組織から離れたため、今更、書く必要もないのですが、ある女の一生ならぬ、この10年の実感では「働き続けるための環境」はまだまだ整っていないと思います。

 

緩やかな上り坂。何事も目に見えないもののほうが、心身にこたえるのかもしれません。

 

坂の上に待ってるのは、ご褒美か、それとも、新たなる坂か。まだ分かりません。残り半分を走らずに、歩き始めたところです。