1月末に介護の講演を聞いて以来、2冊の本を読みました。講演者であり、タレント兼作家の遥洋子さんの著書です。
「介護と恋愛」
「死にゆく者の礼儀」
講演からも著書からも彼女の生き様が感じられ、好感を持ちました。2冊のうち、母の介護について書かれた「死にゆく者の礼儀」から印象に残った箇所を引用させていただきます。
娘から母への想い。講演会でも、生涯、独身だろうと語っていた遥さん。ある独身女性から子を持つ女性へのメッセージと言えるかもしれません。
その前に
私が信じていること。
未婚、既婚、子供の有無にかかわらず、自分の軸を持っている人とは分かり合える。
それを証明してくれるような文章です。
| 死にゆく者の礼儀/遥洋子
1,620円
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人生の質は、死の直前にいい人生だったと思えるかどうかで決まる。
自分の思いどおりに、のびのび生きられる、それを願ってもままならないのが人生だというのに、なにが悲しくて最初から辛抱をし、断念をする人生を選ぶのか。
世間のためか、子供のためか、自信がないからか・・・・。
世間は無責任なものだ。子供は親が辛抱しようがのびのび生きようが育つ。はじめから自信のある人間なんていない。
だから、思ったままの人生を生きるべきなのだ。
こんな簡単なことを見失う人のなんと多いことよ。
(中略)
自己犠牲をするなら死ぬまでやってみたらいい。
死ぬまで子供たちのために、邪魔にならないように迷惑をかけないように生きてみたらいい。
真の犠牲とは相手に最後まで悟られないことだ。
犠牲を犠牲と見せつけることは、自分の問題の解決のできなさを、相手への脅迫にすり替えたにすぎない。
「これだけ辛抱したのだから何かを返せ」というものだ。
母は、辛抱に見合うだけのものを子供たちからもらえなかった。
世間からももらえなかった。
自分の人生がそろそろ終焉だと気づいてからというもの、母は自分の人生を恨み、毒を子供たちに吐き続けた。
「もう終わりや。しょうもない」
鋭い洞察力に加え、テンポよく、パンチの効いた文章は、まるで彼女の生き方そのもののようです。
誤解を恐れずに書くと、私にとって子供とは偶然の産物です。子供がいても、いなくても自分であることに変わりはないからです。
子供が欲しいと思ってから1年が経ち、さすがに「あれ?」と思う。次第に執着し始める。
くさくさした気持ちを追い払うために思い付いたのが、ワーキングホリデー申し込み。
制限年齢ギリギリの30歳でした。怯える夫を尻目に、1年間、カナダに行って、30代は、東京で仕事を頑張ると決意。
カナダは良いとしても、東京でバリバリ働く・・・方言と休暇をこよなく愛する私が、実行できたかは疑問です。
それが、見事、転職して2週間ほどで妊娠発覚。言い訳がましいですが、こればかりは、「産む機械」ではありませんからね。
結局、子育てをしながら、大学の非常勤職員というぬるま湯にどっぷり浸かってしまった30代。
子供を持つ=自分の価値と考え、そこに安住して、子供がいくつになっても世話を焼きたがる人。そして、母親であることを言い訳にして、自分の人生から目を逸らす人。
私にはやりたいことがたくさんあり、子供の人生にレールを敷いてあげる時間はありません。そもそも子供にそんなつまらない人生を送って欲しくはありません。
2人目を考えなかったのは、ここ日本で母親になってみて、余りにも社会的制約が多く、愕然としたからです。
周りと比べて嫉妬したり、安堵したりするのではなく、与えられた環境で出来ることを探す。ただ、それだけです。
その積み重ねが、引用した文章に書かれている「人生の質」に繋がるのだと思っています。もちろん「質」は自分が決めるものですが。
母であろうが、なかろうが
女であろうが、なかろうが
社会のハードルが高ければ高いほど、生き甲斐があると考えるしかありません。男性にもハードルがあるのは承知していますが、私は、幸か不幸か女性に生まれました。
「妻・母って何?」というテーマで書き続けるのは、自分の軸を持ち続けるためでもあります。
