先月6月30日に亡くなった政治家、シモーヌ・ヴェイユ。フランスでは国葬が営まれ、テレビでも彼女の死を大々的に扱っていたので気になり調べてみました。

 

ユダヤ人家庭に生まれた彼女は10代半ば、1944年にアウシュビッツに強制収容されるという過酷な経験を乗り越えて、弁護士、政治家になりました。

 

彼女の政治家としての最大の功績は、保健相であった1975年に妊娠中絶を合法化させたこと。

 

カトリック教徒の多いフランスでは当時、中絶に対する根強い反対意見がありました。その一方で、年間30万人もの女性が非合法な中絶手術を受け、命を落とすこともありました。

 

しかも当時の国民議会では490人の議員のうち女性議員はたったの9人。こうした状況で法案を成立させるのは至難の業だったでしょう。

 

シモーヌ・ヴェイユ 享年89歳

 

話が前後しますが、このヴェイユ法に遡ること、1971年に「Manifeste des 343 salopes」という声明が出されました。

 

この声明は「Le Deuxième Sexe」(邦題「 第二の性」)で知られる作家、哲学者のシモーヌ・ド・ボーヴォワールによって書かれました。

 

彼女の残した有名な言葉は

 

On ne naît pas femme, on le devient.

人は女に生まれるのではない、女になるのだ。

 

です。つまり「 女らしさとは社会的に作られたものに過ぎない」と主張したのです。

 

 

「Manifeste des 343 salopes」の343とは声明に署名した女性の人数です。勇気を振り絞って自らの中絶経験を告白した女性たち。

 

投獄されるかもしれないという危険を覚悟の上でした。"salopes"とは「あばずれ」のことで皮肉が込められています。

 

署名した女性の中には、なんと女優のカトリーヌ・ドヌーヴ、ジャンヌ・モローや歌手のブリジット・フォンテーヌ、「悲しみよこんにちは」で有名な小説家のフランソワーズ・サガンも含まれていました。

 

これらは40数年前に起きた出来事。若い人にはずっと昔の話のように思われるかもしれませんが、私にとってはそうでもありません。

 

シモーヌ・ド・ボーヴォワールの人生を描いた映画

 

以下は女性をめぐるフランスの歴史です。1975年まで女性から離婚を切り出すことが許されず、1978年まで法律でレイプが禁止されていませんでした。

 

1965年:女性が本人名義の銀行口座を持てるようになる

1967年:避妊用ピルが合法化される

1975年:妊娠中絶が合法化される・協議離婚が認められる

1978年:法律でレイプが禁止される

 

自由奔放に生きているように見えるフランス人女性たちも権利を獲得するために闘ってきたのですね。シモーヌ・ヴェイユはフランスにおける女性開放を語る上で欠かせない人物の一人のようです。

 

彼女が亡くなる直前に行われた総選挙では577議席のうち女性が223議席を占め、その割合が38.6%と大幅に上昇しました。その直後の内閣改造でも19の大臣ポストのうち女性大臣が11人となり、初めて過半数を超えました。

 

ちなみに日本では衆議院に占める女性議員の割合は9%代。大臣19人中、女性は3人のみです(2017年7月現在)。

 

道のりは長いですが、前向きに捉えれば、まだまだ可能性があるということでしょう。今を生きる女性は変革の波に揉まれ、仕事も結婚も出産も子育ても地域活動も自分や義理の親の介護も!と多くを求められ本当に大変です。

 

でもフランス人女性が闘って自由を勝ち得たように日本でもきっと私たちの子供や孫の時代には性別に関わらずもっと生きやすい世の中になっているといいなと思います。