家康公めぐり【駿府】 | 仁王(旧)Official Blog 仁王軍本陣

家康公めぐり【駿府】

皆さま、こんにちばん!!
和心を詠って伝える伝道師(アーティスト)です! (^o^)人(^_^)

今ある私達の平穏な暮らしが、過去に散っていった、
数多くの犠牲の上に成り立っているということを常に忘れず、
その時代を全力で生き抜いた方々に、尊敬と感謝をこめて
手を合わせながら、が巡る歴史ゆかりの地。

ただいま、徳川家康公を巡っています!(`・ω・´)

今回は、家康公が75年の生涯の、
およそ3分の1の年月を過ごされたという、
静岡県の駿府すんぷにやってきました!

駿府9


※バックナンバー『藤堂高虎公めぐり』もご覧ください♪
★バックナンバー『○藤堂高虎公を巡る○駿府城○』


6歳で人質として、今川家にむかう途中、
家臣の裏切りにあい、織田家に売り飛ばされ、
織田家の人質となってしまった竹千代たけちよ(家康公)

8歳の時、実父・松平広忠が家臣に暗殺されてしまいます。
同年、人質交換で今川家の人質となりました。

その人質交換の際、
幼き竹千代が移り住んだのが、ここ駿府でした。

当時の駿府には、現在の駿府城はなく、
今川氏今川館があったそうです。

竹千代は人質とはいえ、
今川家から優遇されていたようで、
臨済寺の通称「竹千代手習いの間」で、
今川義元の名軍師・太原雪斎たいげん せっさいから多くの事を学ばれました。
いわゆる、人質という名の『政務見習』だったのではないかと言われています。

ちなみに現在、駿府城巽櫓内に
『竹千代手習いの間』
が復元されています。
撮影はNGでしたので写真はありませんが、一見の価値がありますよ♪

さて、そんな静岡県駿府ですが、
冒頭でも書かせていただいたように、
家康公が75年の生涯の、
およそ3分の1の年月を過ごされた地としても知られています。

それも、長期間滞在されていたワケではなく、
人質時代の約12年間(8才~19才)
五カ国大名時代の約5年間(45才~49才)
大御所時代の約10年間(66才~75才)
3期に渡って過ごされていました。

中でも、大御所となってから再びこの地に戻られた事から、
家康公にとって駿府は、
特に思い入れの強い地だったという事が伺えます。


家康公が愛したまち、ということで、
そこかしこに、家康公に関連するものが見られます。

駿府4

※静岡駅前の「葵の御紋」は平成27年12月末で終了しています。


駅前の竹千代君像

駿府城3


駿府3


凛としたさわやかな青年ですね!



マンホールも見落としちゃぁいけません(o^∇^o)ノ
駿府城マンホール☆

駿府1

駿府城5


こちらは静岡市の花である「たちあおい」

駿府2


実は「たちあおい」は、

徳川四天王のひとり本多忠勝ほんだ ただかつの家紋でもあるんですよね。
・・・偶然??(´・ω・`)


五カ国大名時代家康公像もございます♪

駿府6

駿府城6


こ、これは、
家康公スペイン国王から贈られた洋時計……??

駿府5


記念撮影用のカメラ置きのようです。面白い!(o^∇^o)ノ


区役所内におられました。
なかなか渋い!

駿府11


イケメンな家康公です。


こちらは『徳川慶喜邸跡』(浮月楼ふげつろう)

駿府8


徳川慶喜公
が大政奉還後に移り住まわれたお屋敷です♪



さて、次回は駿府城です!

駿府10








仁王 Official Web Site :【仁王軍本陣@仁王幕府】
http://nioh.bakufu.org/
※仁王の詳しいプロフィール、芸歴、結成秘話、出演情報など

仁王公式twitter(@niooooo000h
※仁王の最新情報を逸早くお届け!

仁王CD情報一覧


最新仁王バナー

ひらめき電球「仁王」ブログ総合TOPへ 左矢印