29日夜、息子君から
「事故った」
と電話がありました。
その日からバイトも休みに入って、出かけたいと言う息子君にNOと言い続けた母。
それで仕方なく夕方になってから自転車に乗る練習を始めました。
このブログでも書いていますが、息子君は自転車に乗れません。
もちろん、幼児期にどの家庭でもするように自転車を買って、練習させて・・・でも、バランスが悪くて、また怖がりで、全く関心もなく、よって乗れることはないまま時が過ぎたのです。
親も息子君が乗りたがらないし、別に自転車に乗れなくても困らないなら、と思ってきました。
この頃、自転車に乗りたいなというようになってきて、それなら練習でもすれば、と簡単に母も答えていたところ、休みがもらえて、ようやく念願かなっての練習を本格的にしました。
27日の夕方もバイトから帰って、母と二人で練習をしました。
それで何とか乗れるようになって、その気になれば何でもできるものだ、なんて褒めたばかりです。
話は29日に戻りますが、夜暗くなったのに調子よくなったらしく、遠出をしたいと言い出したので、危ないからとダメと言ったのですが、
大丈夫だから
すぐ戻るから
何を言っても聞かない息子君に、
自己責任だからね
と心配しながら送り出した母でした。
そして1時間半後に電話。
とにかく自分で自転車を引いて戻ってきました。
息子君も何がどうしてどうなったのか、どう転んだのかが分からない状況で、ただ、誰かを傷つけたり、どこかを壊したということがない、いわゆる
自爆
だったことが不幸中の幸いでした。
とはいえ、後頭部に大きなたんこぶ。
おでこに擦り傷、鼻血、手や足にも怪我をしていました。
一番不安なのは後頭部の打撲。
意識障害、吐き気、嘔吐が無いのでとりあえず様子を見て、夜中でも救急車が呼べるように母は待機。
内臓疾患や怪我であれば休日診療所ですが、脳外科の範囲になると簡単には行きません。
やはり大学病院になると思ったので、冷静に様子を見てからにすることにしたのです。
翌30日は昼まで寝ていて、起こしたところ、頭痛を訴えたので、日赤にまず電話を入れ、あいにく脳外科の先生の当直ではないと言われ、消防署に相談して脳外科の先生が出勤している市内の病院があるかを確認。
家の近くの小さな病院ですが、そこに偶然ですが、その時間帯に脳外科の先生がいるという情報。
すぐにそこに電話を入れて、診察をお願いしました。
CTなどを撮ってもらったり、一通りの検査が終わり、結果、今のところ打撲のみという診断でした。
診察でわかってことですが、息子君は大きな石に前輪がぶつかり、そのまま前に一回転し、飛ばされ、またそこに運悪くあった置き石に後頭部をぶつけたそうです。
自転車が倒れた場所と自分が倒れた場所は数メートルも離れていて、無我夢中でどこにどうぶつけたのか、今も分からないという話でした。
急な坂道を下り、気づいたらブレーキがよくきかなかったというのですが・・・言われた場所を母も知っていますが、あそこはほとんどスピードを出して下りる坂ではないのに、そこまで走ってきた速度で坂を下り始めてしまい、慌ててブレーキをかけたけれど石にぶつかったということでした。
昨日も一日ごろごろ、今日も未だにベッドで寝ています。
幸い、処方された痛み止めも服用せず、食欲もあって、今のところは問題はないようです。
ただ、さすがに全身疲労、精神的にも疲れたのでしょうね、よく寝ます。
明日の寒中水泳ですが、特に寒暖の差だけ気にすれば良いだけなので、泳ぐと言っても競泳ではないため・・・今の調子なら予定通りに出るつもりらしいです。
医師の方からも止められなかったので。
打撲の痛みは当分続くでしょうが、日柄ものということなので、こればかりは仕方ありません。
これで自転車に恐怖心を持つかと思ったら、
「自分の自転車が欲しい」
と、昨夜。
良くも悪くも強くなりました。
でも、怪我の状態を見て、年末に参った、という母でした。
年末年始は病院かも、それも想定したくらいですから。
自転車もぐちゃぐちゃ・・・これ、母のママチャリですけど。
まあ、これも仕方ありません。
あれだけの怪我と自転車の損傷からすると、さぞや大きな転倒だったと思いますが、この程度で済んだのは運が良かったと言うことだと思います。
この一年、踏んだり蹴ったり、なんていう言葉も頭にありまして、最後にこれか、留めだ、と思った母です。
一方では、転校先が決まった、警察に被害届も出せて受理され捜査もしてもらえるし、泣き寝入りはしなくて済んだ、さらにこんな大きな自転車事故でも息子君が無事でいてくれた・・・運が悪い一年でありながらも必ずどこかで救われた一年だったと思います。
誰にどう感謝して良いか分かりませんが、こういう時って神様なのかもしれませんが。
感謝、よくこの言葉をブログでもメールでも、会う人に口に出して来ましたが、本当にこの辛い一年に感謝します。
泣きたい日も多かった、泣いた日もあった・・・でも、今年を無事に終えられそうだということ、本当に有り難いと思います。
来年は波乱万丈が続くでしょうが、その中にも温かな陽だまりで笑える瞬間を持てるように、息子君と共に前に向いて歩いて行きます。