【注】1月11日に神奈川県立近代美術館で行われたアーティストトークの覚書です。
   聞いた事をその場で書き取っているので、表記や内容に誤りがあるかもしれません。
   途中から聞き始め、書き取りも途中からなので、欠けている部分が多いと思います。
   作品を見ないとわかりにくいところが相当あると思います。
   あくまでも覚え書きです。参考までにお読み下さい。


「内藤礼 すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」アーティストトーク


ファブリック…地上の風景をモチーフにして、身近なものとして身にまとったり室内に飾ったりするもの

プリント柄の布を買いに行く時…この世の中には良いものがあるという前提で出かけて行くときの善なる感じ、シンプルさ、やわらかい幸福感

人間の営みの中にはきっと良いものがある

プリント柄の布…無名性

自己表現のためにものを作り替えることはしない

ものの存在が喜ぶような、あるべきかたちになるように最小限しか触れないようにする

つないだビーズ…垂直も曲線も重力がつくったもので、自分がつくったものではない

リボン…刻々と変化していく

貝殻染、コチニール…死によって色をもらう、生への捧げもの

リボンが色付でない理由…生の外、自然の側

第一会場の作品…地上の生の人を眺める

中庭のリボン…空に立ち戻る、外気に触れる

第二会場の3の作品…紙、オフセット印刷、新生児が生まれた時に足を揃えた時おさまるサイズ、地上の面が大事、空中から生まれて足を揃えて地上に着地するイメージ、人間は大きくなってもその大きさを持ち続けている、手放す時は死の時、人は孤独

展覧会タイトル…連続性が何かの理由で断たれている、自分が世界から遊離しているのではないことを知りたい

何かが生まれる直前
直前の連続
毎日、瞬間ごとに違う

対象物が変化しているのに同じものを見ていると言えるのか?
見ることは不安定で自由
固定してとらえることはできない

安定したものを見たいという気持ちもあるけど、次に何がおこるかを見たい気持ちが大きい

「水の中の水」=変化の中の変化

第二会場の2の作品…模様が小さいと遠くに見える、自分の中にもっていないものの良さを感じた時の幸せ、嗜好を捨て去って選択するべきだったけれどそこまではいかなかった

お金があってもなくてもいい作品がつくれなくてはいけない
=お金があってもなくても幸せでなくてはならない

簡素な身の回りのもので出来るだけ手を加えずにつくる
→社会に対しての反発? 人間の苦しさに対しての反発?

聖性は特別な場所ではなく、身の回りのささやかな事柄の中にある

男性だけでなく女性も自分以外の母性を必要としている
母型的なものに触れたい






内藤礼の展示を見に行った。

「内藤礼 すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」

大好きな作家。
1991年に佐賀町エキジビットスペースで「地上にひとつの場所を」という展示を見てから気になっている。
現代美術やインスタレーションということををはっきり意識して鑑賞した初めての作品だったと思う。

今回は神奈川県立近代美術館・鎌倉館でのインスタレーション。
2階での室内の区切られた空間の展示と、1階での借景を利用した開放的な空間での展示。

2階から入る。
暗い空間に、小花柄や動物柄などのかわいらしいファブリックが敷かれた上に
クリスマスライトが花のように光っているのが、展示ケースにいくつも入っている。
ライトの傍らにはリボンやオーガンジーなど。
乙女がハート鷲掴みにされそうないろいろなかわいらしいモチーフが組み合わされて並べられている。
傍らには水の入った瓶やビー玉。天井からは白や薄い色の風船。
展示ケースはL字型の通路の両側にあるのだけど、外側の展示ケースには中に入って見ることができる。
つまり、普段作品が陳列されている場所に足を踏み入れるということ。
内藤礼らしい展示の仕方だけど、いつもと違うなと思うのは
普段は薄い布や壁で外界を遮っているのが、今回はガラスだということ。
遮られているけれど、見えるし、見られている。
そして暗いので、ガラスが鏡面のようになって、光がどこまでも映り込む。
区切られた空間だけど、それが無限にも見える。
一方、水の入った瓶はガラスを隔てて対で置かれている。
映ったものでないことを示すために、片方の傍らには小さな透明のビー玉。
現実とそうでないものが共存している空間。
少女らしいモチーフで、普遍的な世界が表現されている、不思議な感覚。

外の通路を抜けて隣の展示室にも作品が。
明るい空間に小花柄の布が一面に敷きつめられている。
右手前の傍らには、直径8cmくらいの薄くて丸い紙に小さな文字で一言書かれていて、
その紙が10cmくらいの高さに積まれている。
鏡文字で印刷されていて、裏から透かすとちゃんと読める。
敷いてある布がこの世界だとすると、丸い紙は無数に発せられた小さなメッセージに思える。
世界を俯瞰しているような気持ちにも、ぐっと身を縮めて蟻くらいになったような気持ちにもなる。
マクロとミクロを行き来するような、そんな感じ。

1階に降りる。
中庭のイサム・ノグチの彫刻作品『Kokeshi』の上からひらひらと舞う、白いオーガンジーのリボンが2本、青い空に映える。
目に見えない風や空気の流れを意識させられる。
半屋外の彫刻展示室には。小さくて透明なビーズをつないだものが天井から床に一直線に貫かれている。
平家池のほとりには、そのビーズが半月側にたわんで据え付けられている。
手すりには水が入った瓶がいくつか。
水の流れとか、連続性とか、形のないものに形を与えるとか、そんなことを思う。
最後の作品は少し探してしまったけど、見つけた時思わずにっこりしてしまった。
貝ボタンが2個嵌め込まれていて、それはまるで、振り返ると目に入るKokeshiの彫刻のよう。

図録を買った。
インスタレーションは、一定期間しかそこに提示されない作品。
後で思い出すきっかけがほしくて買った。
後ろの方に内藤礼の文章が載っていて、書き出しが
「なににもならなくていいよ。おいで。」
さっき丸い紙に書かれていた言葉も「おいで」。
この世界に「おいで」と言われて生まれてきたような気もするし、
他の人に向かって自分のいるところに「おいで」と呼びかけているような気もする。

作品に接していると、包み込まれるような気持ちになる。
平らで穏やかな気分になる。
大阪土産をもらった。


$Small, Good Things-旅行の友1


「御飯にかけてステキにうまい」


$Small, Good Things-旅行の友2


「滋養豊富、軽便副食」


$Small, Good Things-旅行の友3


「三度の食事に是さえあれば大丈夫!お惣菜の単一化。それで居て栄養価満点の副食物!」


$Small, Good Things-旅行の友4


中身はふりかけでした。
すごいキャッチコピーだなぁ。


yuriのブログ-2009wreath


初アメブロ。

先月作ったクリスマスリースを載せてみます。

毎年11月にクリスマスリースを作り、酉の市に行くと
一足早く年の瀬を迎えた気になります。



以前の日記はこちらでどうぞ。