「お姉ちゃーん、シルちゃんみなかった?」
 翌日、港の堤防で刀を手入れしていたソラの元に、リクが駆け寄ってきた。
「いや、見てない」
「おかしいなぁ。ヘリ見せてあげようとしてたのに」
「監督不行き届きだぞ?隊長」
 クスクスとソラが笑う。
「かっからかわないでよお姉ちゃん!あれ、どうしたのその刀?また手入れして…」
「ん?ああ、刃毀れがないか見てる」
「してたの!?」
「いや、大丈夫みたいだ。斬った感じは硬くなかったけど、ちっとも傷がつかなかった」
「その刀で?どんな生き物だよアイツ」
「生き物…じゃないかも」
「え?」
 ソラは胸の谷間にはさんでおいたレポート用紙をリクに差し出した。
「お、お姉ちゃん、そういうところに物挟むのやめようよ…」
 姉のあいかわらずの欠落ぶりに、弟は頭を抱えた。
「なにこれ?成分分析表?あの怪物の破片の?」
「簡単な検査キットしか持ってこなかったから、詳しくはわからない。でも主成分はわかった」
「炭素…え!?あの怪物火傷してるの!?」
「たんぱく質が炭化するほど火傷をしていたら、生命活動を維持できない。この刀で斬っても斬れない炭素ということは…」
「高純度で密度の高い…え?うそ、ダイヤモンド!?」
「私もそう思った。でも刀には傷一つついていない。しかもあれだけの動きが可能なほど柔軟だった」
「え?え?わかんないよお姉ちゃん!」
「うん。私もわからない。だから…リク、作ってほしいものがある。リクなら簡単だと思う」
「???」



「ここにいたんだ、シル」
 港から少し離れた岬に、シルはいた。
 そこには白い枝の無い木のような石碑が直立していた。シルはそれに手を合わせている。
「お墓…?」
「うん。この島の海で死んだ人たちの…イレイヒ、だっけ」
「あぁ…」
 真っ青な海と空を縦につなぐように、慰霊碑は立っていた。
 ソラは歩み寄り、同様に手を合わせ、瞼を閉じる。波音が優しく周囲を包み込んでいた。
「父ちゃんもここにいるの。母ちゃん言ってた」
「お父さん、どんな人?」
 シルが少し暗い顔をした。
「おぼえてないの。アタシそのときまだ小さくて…」
「あ、ごめん…」
「いいの。でもね、父ちゃんがいいもの残してくれてたんだ。漁に出た記録とか、船の動かし方とか、全部ノートにとってあったの。アタシそれ物置で見つけたんだよ?全部読んでおぼえたの!」
「全部?」
「うん。すごくわかりやすく書いてあって…ほら、島を出るとき抜け道を使ったって言ったでしょ?このへんに大潮の日にだけ、すっごく早い潮の流れができるところがあるの。それに乗ればぜったい怪物も追いつけないってわかってたの。それも書いてあったんだよ?あの日初めて船に乗ったけど、全然迷子にならなかったの。丘に上がったら迷子になったけど…」
 シルは過日のことを思い出して、照れくさそうに笑った。
 簡単に話しているが、ソラにはにわかに信じられない話であった。父親の血、海の天才ともいうべき感性のなせる業だろう。
「ノートのあちこちにね、島のことが書いてあるの。夕日が差してきれいだったとか、空が曇っててつまらなかったとか、海に出てもずっと島を見てるみたいなの。きっと父ちゃんは、島が好きなんだって思ったの。だから、怪物が出てみんなが困ってる顔をしてるのがいやだったの。父ちゃんも悲しんでるみたいで…」
 この小さな心で、シルは父と父の愛した島を、誰よりも思っているのだ。
 ソラたちの母も、リクがまだ幼い頃に他界した。似たような境遇の親子に、ソラは一層胸が痛くなった。
「シル…うまく言えないけど、任せて、私に。必ず、あいつをやっつける」
「うん!」

「さぁさ、大したもんはないけど、たんとお上がりよ」
 ソラとリクは、シルの家に泊まることになった。シルの母は、夕餉に島で獲れた海の幸を振舞ってくれた。
「うっわぁおいしそぅ!いただきまーっす!」
 リクは早速かぶりつき、幸福を満面にたたえながら味わっていた。
「おかわりあるよリクちゃん?慌てないで食べな」
「ふん!あひがろぉおまはん!」
「リク。行儀悪い…」
 ソラは呆れたが、こんなに楽しそうに食事をするリクを見たのは初めてだった。
「まぁまぁ喜んでもらえたみたいだね。おばさんホッとしたよ。都会の子の口には合わないんじゃないかって。そっちのお姉ちゃんはどうだい?」
「あ、えぇ、おいしいです、とても」
「そりゃよかった。シルが世話になったからね、恩返しと言っちゃ厚かましいけど、自分の家みたいに寛いでおくれ。シル、お礼は言ったのかい?」
「まだ。かいぶつ倒してくれたら全部お礼言うよ」
「これシル!」
 母はシルの頭をぺちんと叩いた。
「あ、いいんですおばさん。一回は断ったし…」
「まぁまぁ、なんだか迷惑かけたんじゃないだろうねこの子は。父親に似て無鉄砲だよ本当に」
 ふと、ソラはあることに気づいた。家の設えや箪笥の大きさ、食器のそろいがどこか合っているようでちぐはぐだった。
 ソラには、その理由を察することができた。自分の家と似ていたからだ。
「リクちゃん、明日もかくれんぼしよう?」
「んぐ。だ、駄目だよもぅ!遊びに来たんじゃないんだから」
 シルの言葉にリクは面白いように慌てて見せた。
「リク、友達できたのか?」
「ちっちがうんだってばお姉ちゃん!シルちゃんたちがヘリが見たいってしつこくて、危ないから駄目だって言っても聞かないから、僕を見つけられたらいいよっていって隠れてたの!」
 年下の子達と遊んでいたのがよほど恥ずかしいのか。リクは耳まで真っ赤にしている。それにシルが付け加えた。
「そうだよ。でもリクちゃん隠れるの上手で、何回やってもちっとも見つからないの!みんなびっくりしてた。この島のこと全部知ってるみたいって!」
 それはそうだ。狙撃手は気配を消すなど朝飯前だし、潜伏や潜入行動は前線に立つ上で必須科目だ。これだけ草木や遮蔽物の多い島なら、何年でも潜伏できるだろう。
「だから、あれは今日だけ。見つけられなかったんだからヘリは諦めるんだよ?いい?」
「えー…」
 ソラにはお兄ちゃんぶってるリクがたまらなく可愛かったし、心底残念そうなシルもたまらなく可愛かった。
「いいよリク。明日見せてあげな」
「え!?」
「ほんとお姉ちゃん!?」
「ああ。そのかわり、リクの言うことは絶対聞くこと。破ったら二度と近づいちゃ駄目だ。できる?」
「うんっ!」
「お、お姉ちゃん!危ないってば、ヘリの中にはほら、マークトゥエインとかプルーストとか…」
 なんとなく二人の前で、銃や武器の名を出すのが憚られた気がしたのか、リクはわざとらしく難しい正式名を言った。
「とっくに隠した。今はからっぽだから」
「う…」
「ねぇリクちゃん、いいでしょー!?」
 シルはリクの服の袖を引っ張ってねだる。
「わ、わかったよ。そのかわり絶対言うこと聞くんだよ?いい?」
「はーい!」
 すっかりお兄ちゃん気取りである。ソラはシルの母と顔を見合わせて微笑んだ。



「おや、ソラちゃんまだ起きてたのかい?」
 リクとシルが寝た後、風呂を出たシルの母は、居間にいたソラに声をかけた。
「すみません。ちょっと調べ物があって…」
 携行PCと数台の小型機器を並べて、この田舎の島には不似合いすぎる光景を作り上げていた。
「そりゃ構わないけどさ。あまり根詰めるんじゃないよ?なんか飲むかい?」
「あ、いえ、お構いなく…」
 何がおかしかったのか、母はからからと笑った。
「やだよこの子ったら、お構いなくだなんて。この島はね、住む人間も来た人間も、みんな家族みたいに迎えるもんさ。遠慮するとかえって失礼になっちまうから気をつけな」
「あ、すみません…」
「いんだよォ。お酒ってわけには行かないね。お茶持ってきてやるよ」
 どこまでも朗らかな人柄に、ソラはすこし感動した。
 ややあって、母は琥珀色の飲み物を出してくれた。ソラが一口飲むと、ひんやりした口当たりと鼻の奥をくすぐる甘みが、疲れをすぅっと取り去ってくれるような気がした。
「おいしい…」
「だろう?ここのもう一つの自慢のお茶さ」
 そう言って母も一口飲む。太い腕に小さなコップがミスマッチだなと、ソラは柄にもなく思ってしまった。
「すまないねソラちゃん。なんだかうちのシルが迷惑かけたみたいで」
 さらっと世間話をするように切り出され、ソラは思わず慌てた。
「あっいえ、そんな、仕事、ですから…」
「まーシルがいないってわかった時は、あたしも島の連中も大騒ぎしたさ。集めた金はなくなってるわ、船が一艘消えてるわで。生きた心地しなかったよォ」
 苦笑いを浮かべながら話しているが、本当に心配していたのだろう。だが、
「今度こそ一人になっちまうのかとおもってさ…」
 その言葉を発したときだけは、本当に寂しそうな顔になった。
 ソラの推察は当たったようだ。
「うちは元々四人家族だったのさ。8年前に旦那が、ウムギ貝の漁で死んでね」
 母は視線を少し上げた。ソラがその視線を追うと、居間の柱の少し高いところに、赤い紐で飾られた、菱形の木の板が取り付けてあった。
 神事の道具のような風貌だった。恐らくこの地方の位牌のようなものなのだろう。
「まぁ島のみんなのお陰で、暮らし向きには不自由しなかったけど、それでもやっぱり働き手をなくしたわけだからね、大変だったよォ、赤ん坊と育ち盛りの男の子を抱えてさ」
 シルには兄がいる…否、いたようだ。
「オールー…あぁ、シルの兄ちゃんなんだけどさ。なんだか船に乗ってもエンジンやらレーダーやらいじくってばっかりで、漁師より学者になるなんて言い出したくらいさ。ところがこいつが旦那の葬式の晩に、どっかに消えちまったのさ。一編に男手二人をなくしてねェ。あの時はもう駄目かと…」
 母は目を拭った。
「その、オールー君は…?」
「さぁねぇ。浜に上がったなんて話も聞かないし、どこで油売ってんだか…」
 まるでいつかひょっこり帰って来る様な言い方だった。いや、そうであってほしいという願いの表れだろうか。
「ソラちゃん達がシルを連れて空から降りてきた時は、本当に神様を見る気分だったよ。大げさじゃないよ?アタシにとってシルはそんだけ大事だったんだから。だからさ、島の男衆がソラちゃんを何て言おうと、アタシらは信じてるよ?なぁに、なんだかんだであと一ヶ月は喰っていける蓄えはあるんだ。ゆっくりおやりよ」
「はい、ありがとう…」
 母はバシッとソラの肩を叩いた。身が締まる思いがした。
『ピッピッピッピ』
 ソラのPCが何かを知らせた。
「あ、終わった」
「何してんだいさっきから?」
「えっと、分析です。簡単なものですけど…」

「出たぞォ!!怪物が出たぞォ!!」
 物見櫓から叫ぶような声がした。時刻は夕食時少し前。家々の台所から暖かい煙が昇るころである。
「女子供は家に入れ!!男衆は船を上げろ!!」
 ソラとリクは港を見張っていた。櫓の声を聞くや、ソラは堤防の先に立ち、リクは櫓の上で匍匐姿勢でライフルを構えた。
「リク、聞こえるか?」
 ソラが無線でリクを呼ぶ。
「感度良好だよお姉ちゃん」
「目標が湾内に入ったら、鼻先に数発威嚇射撃。相手がサメに似た生き物なら、驚いて飛び上がるか引き返すかする」
「そこをお姉ちゃんが叩くんだね。了解、任せて!」
 今得られる情報で立てられる作戦は、それが精一杯だった。
 やがて堤防の向こうの水面が揺れ、刃のような背びれが現れた。
 でかい。並みのサメのサイズでないことは明らかだった。男衆は港の手前で残った船を守っている。
「あの姉ちゃん、本当に一人で戦う気か!?」
「いや、櫓の上に弟がいるってよぉ」
「バカ言え。どっちも子供じゃねぇか。尻尾巻いて逃げんのがオチだァ」
 口々に話す男衆の声が、リクには丸聞こえだった。無論今はそんなものにかまっている暇はない。小さなダットサイトを覗き、狙いを絞った。
 怪物は蛇行して港に近づきつつある。月明かりに浮かび上がった背びれが堤防に迫る。
「撃て!」
 ソラの合図でリクは引き金を絞る。
 パパパッ!!パパパッ!!パパパッ!!
 三点バーストが小気味よいスタッカートを刻む。島に一度として轟いた事のない音に、島民は凍りつくような寒気を感じた。
 背びれの先の水面に水柱が上がる。一瞬怪物の向きが変わったが、またすぐに港を目指す。やはりサメとは違うと、ソラは確信する。すると、ソラの10メートルほど向こうで、背びれがスッと海中に消えた。
 来る!
 とっさに悟ったソラは刀を抜き構えた。そのとき、ソラの目の前の海面が隆起したかと思うと、灰色の矢のようなものが現れ、猛スピードでソラの真上数十センチを通過した。
 怪物だった。容姿はサメに似てはいるが、全長は優に10メートルはあろうか。ヒレの数が明らかに多く、皮膚は黒に近い灰色をしていた。
 ソラの上に豪雨を降らせるようにして、怪物は反対側に着水する。ソラはそれを目で追うのが精一杯だった。
「お姉ちゃん!大丈夫!?」
「大丈夫。尾びれを狙えるか?」
「やってみる!」
 それが難題であることは、指示を出したソラにもわかっている。夜の海は光を反射して中を覗く事が難しく、しかも水は弾丸の軌道も威力も変えてしまう。
 しかし今はリクのセンスを信じ、試せる手をすべてやるしかなかった。
 パンッ!!パンッ!!
 銃声が単発に変わった。精密射撃に切り替えたのだ。水柱は確かに背びれの後ろを狙っていたが、動きに変化は見られない。
 やはり無理か。ソラは切先を怪物に向け続ける。と、湾内を泳いでいた背びれが再び消えた。
「沈んだ!来るよお姉ちゃん!」
 ソラは大きく刀を後ろに構える。チャンスはやはりここしかない。
 一瞬、静寂が港を包んだ。怪物は逃げたのかと思わせるほど。しかし次の瞬間、再び海面を持ち上げて怪物が飛び上がる。しかも今度は先ほどより水平に、ソラを明らかに狙った角度だ。
「はぁぁあああッ!!」
 迫烈の一声を上げ、ソラは刀を振る。水しぶきを浴び、上弦の月のような刀を振り、怪物と交錯するその姿に、男衆は一瞬、しかし熱く目を奪われた。
 呻るような水音を上げ、怪物は着水する。ソラは斬り尽した姿勢のまま、しばらく動かなかった。
 やがて本当の静寂が港に訪れると、ソラは港に戻った。
「リク。撤収する」



「ど、どうだ!?」
 戻ってきたソラに男衆が駆け寄り、島長が尋ねる。
「逃がしました」
 どっと落胆の声が起こった。
「なんでェ、偉そうな口叩いておいて…」
「とりあえずは上々な出来です。あと三回…いえ、二回も交えれば倒せると…」
「おい嬢ちゃん!言ったろ?こっちゃ明日の喰いもんにも事欠いてんだ。二回だ三回だって悠長なこどうぉっほ!!」
 ソラにつかみかかるように怒鳴っていた島長が、滑稽な格好で飛び上がった。見ると櫓を降りたリクが、島長の尻をライフルのストックで突き上げていた。さすがである。角度も位置も完璧だ。
「な…なぁにしやがんだこんガキゃ!!」
「お姉ちゃんをいじめるな!それにここまでは予想通り、ううん、むしろ出来すぎなくらいですよ」
「んだとォ?すっかり取り逃がしてんじゃねぇか!?」
「ねえおじさん。魚取るの上手?」
「あん?馬鹿にすんな坊主!伊達に島長名乗っちゃいねェ。水揚げ量で上から三番目から下になったこたねぇよ」
「じゃあさ、シロカゲダイって魚の獲り方知ってますか?」
「し、しろかげ?なんだそりゃ?」
「北氷洋に住む深海魚で、夏場だけプランクトンを食べに浅いところに上がってくるんです。船の上から疑似餌をつけた針をたらして釣るんです。ちなみに塩とバターで焼くとおいしいです」
「知るかんな事!名前も知らねぇ魚の獲り方なんて……」
 島長をはじめ、男衆の顔色が変わった。
「もういい、リク。わかってもらえましたか?何の情報もない相手と対峙するのは、それだけでリスクなんです。今は相手の習性を推し測るしかないんです。手がかりは掴みました」
「な、なんでいそりゃあ」
 ソラは刀を抜き、島長に向けた。おもわず男衆はたじろぐ。
「刃先、見えますか?黒い粉がついています。怪物の皮膚です。本気で斬ったのに、これしか削れなかったけど、これを分析すれば、何かわかるかも」
「ほ、ほぅそうかい?じゃあさっさとやっちまってくれや。増援とやらを呼ぶなりな」
 島長は踵を返し、男衆はそれに続いた。リクはその背に精一杯の抗議をする。
「イ~~~~~だッ!」