翌日。日が真上に来る頃、ソラは慰霊碑の前にいた。慰霊碑に向かい、刀を丁寧に磨いていた。
 真っ直ぐ伸びる慰霊碑と、独特なしなりを持たせた刀を見比べるように。
「お姉ちゃん…」
 シルがやって来た。普段と違うソラの様子に、一瞬声をかけるのを憚った。
「シル、どうしたの?」
「……」
 快活なシルにしては珍しく、何か言い詰まっているようだった。
「何か心配?」
 ソラは刀をしまい、少し水を向ける。
「あのね…お姉ちゃん…お兄ちゃんと戦うんでしょう?」
 ソラはその問いかけに、微笑んだ。予想外のリアクションに、シルは驚いた。
 ソラは最初、寄り合い所にシルを呼ぶことを躊躇った。しかし同時に、シルこそ呼ぶべきだとも思っていた。
 この子は兄に似て頭がいい。それに父親と同じくらいこの島を思っている。オールーのことを隠せば、その鋭敏な感性は余計に傷つくだろう。だから、この小さな心には少し酷かもしれないが、事実をきちんと伝えるべきだと考えた。
 シルは悩んだのだ。島を救いたいという気持ちと、兄を助けたいという気持ちの狭間で。それはいいことなのだとソラは思っていた。
「違うよ、シルのお兄さんを助けてあげるんだ」
「助ける…?」
「そう。シルにはまだわからないかも知れないけど、お兄さんはきっと…」
 何かを言いかけて、ソラは言い淀んだ。
「きっと、助ける。だから心配しないで、いい子でいて」
「…うんっ」
 少しだけ、いつものシルの顔に戻った。シルは踵を返し、家のほうへ走っていった。
 ソラは再び刀を抜き、慰霊碑に見せるように並べた。
 あの時のオールーの目と声。戦場で幾度か出会った、狂気に憑かれたもののそれだった。
 しかしソラは知っていた。それは同時に……。


 ブウウウウウウウウウ………


 遠くの空から唸る様な音がした。エンジン音だ。
 ソラは立ち上がり、砂浜へ向かい走った。



「ぃよぅリク!ねーちゃんはどうした?」
「た、隊長!?なんで!?」
 島の砂浜に降りた水上離着陸機から顔を出したのは、翠玉色の髪に長い耳を持った、ソラやリクの直属の上司、キール・ロワイヤルであった。
 突然の来訪に驚くリク。
「ソラに頼まれたもんを持ってきた。おうソラぁ」
 駆け寄ってきたソラに手を振るキール。
「隊長?何しに来たんだ?」
「冷たいねェおい。可愛い部下の頼みに隊長自ら答えてやったのにさ。ついでにあれだ、この島で休暇取ろうと思って。あぁ心配すんな、お前らの作戦には手も口も出さねぇから。カイさんに釘刺されたよ」
「父さん、帰って来たのか?」
「俺が出発するちょっと前にな。経緯を話したらそう言われたよ、あと島長によろしくって。俺はてっきりあの親馬…いやいや、子煩悩な傭兵長のことだから、すっ飛んでくると思ったんだがな」
 ソラとリクはくすくすと笑った。
「父さんはそんなことしないよね?お姉ちゃん」
「普段は過剰に甘やかすけど、戦うことに関しては一切しないから。戦場で甘やかすと死ぬって」
「なるほどねぇ。その反動で普段ああなってるわけだ」
 キールも苦笑した。別れ際カイが一目散に社長室へ駆け込んだのを思い出した。あの後社長ともめたのだろう。
「で、隊長、お姉ちゃんが頼んだのって…」
「あぁそうだ。喜べリク、最高のおもちゃ持って来たぞ」
 キールは機内から、車輪のついた棺桶のような、アーミーグリーンの巨大なケースを引っ張り出した。ケースには金槌とアルファベットのGを模したエンブレムと、Σ55というナンバーが刻まれていた。
 それを見たリクの目が、子犬のように輝いた。
「しゅ、シューズキーパーだ!!」
「装備課の連中説得するの骨折ったぜ。これで不甲斐ない結果出したら承知しねぇぞお前ら?」

「なんだ、これは…」
 横穴は奥に進むと上へと向かい、なぜかそこに水面があった。
 海底空洞。海の底の空洞が偶然外につながったか、あるいはガスが洞窟内の気圧を高めたかによる現象だ。
 海から上がり、ゴーグルとボンベを外すソラ。中の気圧は高かったが、有毒ガスがないことは明らかだった。人の気配があったのだ。
 空洞の広さはおよそ体育館一個半。天井も高く、居住空間としては十分すぎるものだ。しかもそこには、明らかに人の手により持ち込まれた機械が多数置いてあった。
 ナイフを構え、洞窟を奥へと進む。するとそこには、一際巨大な水槽のような機械が鎮座していた。その前に座る一人の男。ソラはゆっくりと歩み寄る。
「噛み付きはしませんよ」
 男は喋った。少し幼く、やや掠れた声だった。
「誰だ?」
「人の住処に上がりこんで、挨拶も自己紹介もなしとは、失礼な人ですね」
 言葉は軽いが、声色はどこか哀調を帯びていた。
 そこには一人の青年が座っていた。長い髪、やつれた顔、青白い肌。長期間太陽に当たっていないもののそれであった。
 ソラは答える。
「PMC、AEGISから派遣された傭兵。ソラ。島の人に頼まれて、怪物討伐に来ている」
「あぁ、あのAEGISの。光栄だな、そんな方に来ていただけて」
 もう一歩歩み寄るソラ。青年の目は暗く、生きている人間のそれとは別だった。
「僕はオールー。あの島の生まれで、今は…あの島を襲っています」
 ソラは一驚した。オールー。確かに青年はそう名乗った。彼が、シルの兄なのか?
「どういう…ことだ?」
「そのままの意味ですよ。島の連中が怪物と呼んでいるものは、これです」
 青年、オールーは背後の水槽を指した。ソラはそのとき初めて気づいた。水槽に入ったそれは、体長10メートルを超えるサメ…否、サメに似た何かだった。
「これが…」
「いや、さっき発信機に気づいて、でもなかなか取れなくて苦労しました。すごい接着剤ですねこれ。今度売ってください」
「なぜ?なぜあなたがここに?なぜ島を襲うんだ?シルやお母さんに何も言わずに!」
 ソラは思わす声を高めた。
「一度に聞かれても…。そうですね、僕は8年前からここに篭り、これを作ることに心血を注いできました。これはこのあたりを泳いでいたサメに機械的改造を加え、カーボンファイバーとチタンコーティングで防御力を高めた改造生体です。僕はスサノオと名づけました。ほら、頭のところに窓がついているでしょう?あそこに僕が乗って操縦するんです」
 まるでおもちゃを自慢するように、オールーは信じられない事実を語った。
 カーボンファイバーもチタンコーティングも、ましてや有機生体をベースにしたサイボーグ手術など、この歳の青年に成せる事とは思えなかった。
 しかし事実、その怪物はここにあり、ソラの刀に炭素が付着した理由も合点がいった。
「じゃあ、なぜ島を?故郷、だろう?」
「…それに関しては、よそ者のあなたに話す義務はありません。やめるつもりも、ありません。もうすぐウムギ貝の収穫期です。一年分の貝の収穫がなくなったら、島はどうなるでしょう?」
 喜怒哀楽。すべての感情のちょうど真ん中を指す様な、淡々とした言葉だった。
 幾度か戦場という極限に身を置いたソラは、その心が垣間見えた。そしてゆっくりとナイフを収めた。
「どうしました?島を救うなら、ここでスサノオを破壊するか、僕を殺すしかないんですよ?」
「私の任務はあなたの殺害じゃなく、怪物の討伐。それにあなたは、ここでそれを破壊しても、またきっと同じことを繰り返す」
「天下に名高いAEGISの傭兵が、ずいぶん甘いことを言いますね」
 ソラはオールーを睨み付けて言う。
「あなたは戦場で叩き伏せる。それが唯一の解決策。私にはわかる」
 オールーは、能面のように無表情だった。ソラは踵を返す。
「明日です。明日の晩また島に伺います」
 その背中にオールーが宣告する。
「今度は本気です。島中を荒らして回り、近海の魚も追い払ってやります。どこまで連中は兵糧攻めに耐えられるでしょう!?」
 笑い出しそうな声だった。
 ソラは自分の中に、鈍い怒りが湧き上がるのを感じていた。



「そんな…オールーが…」
 島に戻り、寄り合い所に男衆とシルと母を呼んだソラは、海底洞窟での一部始終を明かした。
 母は口を押さえ、男衆は互いを見ながらざわめき、シルは突然の事実に呆然とするだけだった。
 ソラは続ける。
「予告通り、彼は明晩やって来る。私とリクが迎え撃ちます。これ以上、犠牲は出さない」
 そう言ってソラは立ち上がり、その場を去ろうとした。が、
「ねぇ、何か知ってるの?」
 リクだった。ざわめく男衆の様子を敏感に察し、男衆に詰め寄る。
「オールーさんがこんなことする理由、何か知ってるんじゃないんですか!?」
「リク、やめなさい」
「でもお姉ちゃん!」
「追求は仕事に含まれない。島のことは島の人間がまとめるべきだ。でしょう?島長さん」
 ソラに言われ、島長は明らかに気まずそうな顔をした。ソラは寄り合い所を後にし、リクは仕方なくその後をついていった。



『ピリリリリ…ピリリリリ…』
「はいはーい!こちらキールさんの携帯ですけどー」
『隊長、飲んでるなら中断して聞いてほしい』
「おーぅソラじゃねえの。ちょうど今お前らの話してたところだ。どうだぁ?任務は順調かぁ?」
『概ね、間もなく詰めに入る。それで、隊長にお願いがある』
「なんだなんだ?とうとう心細くなって俺に来てほしいってかぁ?」
『いいえ』
「はっきり言っちゃったねヲイ」
『こちらに送ってほしいものがある。大至急』
「ん、そんなことならお安い御用だ。で何を届ける?」
『シューズキーパーと弾薬を1セット』
「ブフッ!!ゲホッゲホッ…!お、おいおい酔いがさめたぜ?お前ら水棲生物の退治に行ったんじゃなかったのか?水の中走る戦車でもいたのか!?」
『ああ、そんなところだ』
「…そう、か。わかった、今すぐ手配する。届くまで死ぬんじゃねーぞ!?」
『了解』

「出たぞォ!!怪物が出たァ!!」
 次の邂逅は、その翌日の晩であった。ソラは再び突堤に立ち、リクはその傍らで銃を構える。しかし今回は、先日のライフルより小型の銃だった。
「今日は短時間で決める。頼むぞ、リク」
「了解お姉ちゃん」
 敵もそのつもりなのか、早速背びれが水面を切り裂いてやってきた。そしてまた水面下に潜り、小さな間が空いた。間髪入れず二人の目の前の海面から、怪物が巨大な顎を全開にして飛びだした。
「リク!」
 パァン!
 合図と共に銃を撃つリク。と、二人は一斉に地に伏せた。刹那、辺りが突然真っ白になった。閃光弾だった。
 目標を完全に見失った怪物は、二人の真上を通過すると、体をねじるようにしたまま着水した。
 そして真っ直ぐに外洋に逃げ、夜の海に消えて行った。

「おいおい姉ちゃん!今回は目くらまししておしまいかよ?いつになったらぎゃうご!!」
 ソラに食って掛かろうとした島長が、再び滑稽なうめき声を上げた。今度はリクが島長の股間を蹴飛ばしていた。さすがである。以下省略。
「ま…また、またてめェかこんガキ!俺の股になにしやがる!」
「またお姉ちゃんをいじめるな!作戦通りにいったんだから、ほめてくれてもいいのに…」
「さ、作戦だァ?」
「リク、やめな。説明不足だったことは謝ります。作戦は秘匿が基本なので…」
「ふ、ふん!で?一体何をしようってんだ?」
「閃光弾の炸裂と同時に、目標にGPSを取り付けました」
「GPS?あの、船の位置がわかるってやつかい?」
「僕が作ったんです。万一のために持ってきたGPSに送信機をセットして、ちっちゃな箱に封じ込めて、瞬間接着剤と組み合わせて…」
「このチビが?」
「リクは銃と機械に関しては、わが社でも屈指の腕を持っています」
「ふん。で?そん次はどうすんだい?」
「目標は夜行性…ないし、夜しか活動できない理由があると思う。多分昼間はどこかに潜んでいるから、明朝GPSの指す位置に行って、それを確かめます」



「リク、船止めて。この真下…」
 明朝、ソラとリクは借り受けた船で、島の沖合いに出た。
 GPSが示した場所は、島がどうにか見えるほど遠い場所だった。
「お姉ちゃん、本当に一人で行くの?」
 操舵室からリクが顔を出し、甲板で水着とボンベを身に着けたソラに尋ねた。
「ボンベ、一個しか持ってこなかっただろう?水中銃も用意してないし。それに船に誰かいないと、かえって危ないから」
「うん…気をつけてね!」
 ソラは親指を立てて見せ、軽やかに海へ飛び込んだ。

 海は相変わらず穏やかであった。色とりどりの魚がソラを迎えてくれている。仕事で無ければ最高のダイビングスポットなのだが。
 ソラは辺りを見回した。深さはそんなに無い。あの巨体が隠れられる岩もみあたらなかった。だが位置は確実にこの真下なのだ。
 途中で機械が外れたか?いや、リクの設計がそんなに甘いとは思えない。戦車も止められる接着剤を練りこんであるはずだ。
 ふと、ソラは海底の岩の裂け目に目が留まった。気泡が上がったのだ。海底火山には見えない。ソラはより深く潜り裂け目に近づいた。裂け目から確かに気泡が上がっている。微かだが一定間隔で…。
 ソラはもう一度辺りを見回す。すると平らな海底面が、向こうのほうで途切れているのが見えた。断崖があるようだ。
 勢いをつけて断崖へ向かう。当たりだった。そこには幅20メートル、長さ200メートルはあろうかという巨大な溝ができていた。底は日の光もとどかず、深さは見当がつかない。
 ソラは推理する。この下に横穴があるのでは?LEDライトをつけ、ソラはその中へと降りていく。
 横穴はすぐに見つかった。あの巨体に余りある大きさだ。ソラはナイフを取り出し、ゆっくりと横穴を進んだ。