「俺ね、半年前に結婚したんですよ。学生時代から付き合ってた彼女と。あんま可愛くないんですけど、すっげえ優しいんですよ。俺がこの仕事してるの知ったとき、泣きながら俺の事心配してくれて…。だからこの任務が終わったら引退して、彼女の親父さんのやってるパン屋でも継ごうかって、彼女と相談してたんです」
 ベッドの上に横たわったまま、嬉しそうに語る青年の傍らで、彼女は微笑を浮かべていた。
「そう、それはいいことだわ。でもあなた、パンなんか焼けるの?」
「いや、実は目玉焼きも作れないんですよ。だから親父さんのところで、ゼロから修行しようと思って…。彼女に似て優しい親父さんなんで、多少ヘマしても追い返されることもないかなって」


 二人は笑った。遠くで何かが爆発するような音がした。テントの屋根に吊るされたランプが揺れた。


「彼女もね、パン作るの得意なんですよ。親父さんに遠慮してるのか、店には出さないけど、あのレーズンロールはミルクティーと一緒に食べると最高なんですよ」
「まぁ、是非食べてみたいわ」
「ええ。でも俺、パンも好きだけど、彼女がパンを作るの見てるのが好きなんですよね。細くて小さな手が、あっちこっち駆け回るように動いて、こう…」
 青年は血まみれの手を上げて、生地を捏ねる素振りをした。
「だんだんパンが形になって…オーブンの中で優しい匂いを立てて…あぁ…喰いたいなぁ…」
 青年の目に、涙があふれた。
「食べられるわよ。もうすぐヘリが来るわ。あなたそれに乗って後方に戻れば、すぐ元気になって帰れるから」
 彼女は笑みを崩さず、囁くように言った。青年は涙を止められなかった。
「ありがとう…でも…俺知ってるんです…。この辺に敵の対空砲陣があって…俺一人のためになんか、ヘリ飛ばせないんです…」
「フフ…あなた、自分の仲間を信じていないの?あなたが思うより彼らはずぅっと屈強で勇敢よ?今頃こちらに…」
「じゃあ…じゃあなんで他の連中は死んだんですか!?もう…物資も底を尽きて…分隊長も……」


 テントの中は、数十床のベッドが並んでいた。すべてが埋まっていたが、誰一人生きてはいなかった。
 敵に包囲されたこの野営基地で、生き残ったのは彼と彼女だけだった。


「…す、すみなせん。怒鳴ったりして…」
「いいのよ。それより気をしっかり持って?」
 彼女は微笑んだ。
「ありがとうドクター…。ねえ、一つお願いして…いいですか?」
「なあに?」
「もしドクターが帰還できたら…あのレーズンロールを、食べに行ってやってくれませんか…?」
「ええ喜んで。でもそのときはあなたも一緒よ?」
 彼女は彼の血まみれの手を握った。氷のように冷たかった。
「そんで…彼女に伝えて…ほしいんです。ごめんなって…」
「あなたが自分でおっしゃって?」
 また遠くで爆音がした。彼はもう、泣く力も残ってはいなかった。
「ドクター…ありがとう…」
「お礼は帰還してから聞くわ…」
「こんなになった俺のために…そうしてずっと笑っててくれて…」
「フフ…いいのよ」
「あぁ…シャーリー………愛して………」
 彼の手から力が抜け、彼女の手から滑り落ちた。

 さて今回は、絵板でも人気のシルバー君が、AEGISに入る件を書いたオリジナルストーリーでございます。
 原作家である不法氏のサイトにある、シルバーのプロフィールの中の「元裏社会の凄腕」という設定から、伸して伸してここまで押し広げてみました。


 今回特に描きたかったのが、狙撃手の苦労話でした。私自身狙撃手は大好物で、アクションゲームなんかでPSG-1が登場するとそれだけで嬉しくなっちゃうほどなのですが、現実の狙撃手について知ってる人は当然少ないでしょう。
 我々が最も馴染み深い狙撃手といえば、某十三氏が不動の位置に居られますが、彼は……………………あらゆる意味で特別なので(苦笑)、今回は私の知り得る範囲でリアルな狙撃手を描いてみたいと思いました。
 観測手の存在、狙撃地点の選定、行動の下準備からおむつの必要性まで(笑)、正確無比な「一発必中」を成し遂げるための、淡々とした地味な仕事ぶりを描き、その上に作られた一発の重みを浮かび上がられられればと思ったのですが、さていかがでしたでしょうか?


 また今回のような「日常の中の狙撃手」とは違い(嫌なフレーズだなw)、映画「プライベート・ライアン」や「フルメタルジャケット」に描かれたような「戦場の中の狙撃手」の姿も、いつかは書いて見たいなと思っています。


 さて次回は火曜日に更新させていただきまして、あの女性がAEGISに入る前のお話をしましょう。どうぞお楽しみに。


 皆様からのご意見ご感想をお待ちしております。

 翌日の新聞に、彼の仕事の成果が小さく載っていた。騒ぎを長引かせて株にでも影響されたら困るという上層部の人間が、新聞社に金でも掴ませて記事を縮小したのだろう。
 彼はいつものカフェでその新聞を読みながら、アイスカフェオレを啜っていた。自分につながるようなことは載っていない。いつもそうなのだが、彼は一応それを確認する癖があった。
 今回もまあまあの稼ぎがあった。少し休暇を取って海にでも行くか。
 そんなことを考えるのも癖だった。
 しかし、



 ゾゾワァッ!



 彼は凍りついた。まただ、またあの殺気だ。誰だ?どこから…!?
 彼は凍りついた腕を必死に動かし、新聞を下ろした。彼の向かいの椅子に、絶世と呼んでもまだ足りぬほどの美女が座っていた。
 馬鹿な!いつの間に…?気配は全く感じなかったはずだ。彼は女の目を、甘い刃のような目を見たまま、微動だに出来なかった。
 しかもこの女、どこかで…。
 やがて女は人懐っこい笑顔で微笑み。
「お時間いただいてもよろしいかしら?ミスター」
 と言った。いつの間にか、殺気は消えていた。
「あ…あんたは…?」
「あら、これは失礼。私はアテナ。アテナ・モスコ・ミュールよ。よろしく」
「…何者だ?」
「会社の社長をしてる…いいえ、する予定よ」
「なぜ俺を…?」
「お気に障ったならごめんなさいね?ちょっと前から友達に頼んで調べてもらったの。面白い経歴よね?」
 彼は全身を強張らせ、女の一挙一動に警戒した。ただの女じゃない。彼の勘が叫んでいた。
「何の用…だ?」
「んー、強いて言えばスカウトかな。アナタ、私の会社に来ない?」
 思いがけない言葉に、彼は拍子抜けした。
「な…なんだって?」
「だからぁ、私の会社に来ないかって。言ったでしょう?私もうすぐ会社を作る…予定だったの。昨日融資元に決めてた銀行に行ったら、支店長さんが死んじゃって、今頓挫してるんだけどね」
 やっと思い出した。この女は昨日、標的に会いに来た女社長だ。ということはまさか…。
「あの時…俺に気づいていたのか?」
「…んーどうかしら?支店長さんの頭に残った入射口から推測して、あのへんかなーて思ったんだけど。で、すぐ部下に言ってそのビルを張らせて、出てきた人間にあたりをつけて調べてみたら、あなたが当たったってわけ.。おかげで狙撃の腕も見られたわ」
 傍から見れば、美男美女のカップルがこれからのデートコースを相談しているように見えたであろう。それほどまでに二人は周囲に溶け込みつつ、その実とんでもない会話をしていた。
 女は時折少女のようなあどけなさで話しているが、その眼はプロ…否、それ以上のものだった。
「驚いたな。目の前で人が死んだってのに、冷静にそんな事考えてたのかアンタ」
「まぁね。人が死ぬ所には多少立ち会ってるし」
「軍人?」
「元、ね。それよりどうかしら?裏社会でチマチマ稼ぐのもいいけど、根を下ろしてみない?うちならおおっぴらにいろんなシチュエーションで撃てるし、あなたならすぐにトップスナイパーになれると思うわ」
 女は会社の事業内容について語らなかったが、およそ察しがついた。あれほどの殺気が放てる女が、退役後にでかい金を動かして、自分のような人間を誘ってやるような仕事…。
「ひとつ、気にかかったんだけどさ」
「何かしら?」
「すぐにトップになれる、って言ったね?つまり、今俺はトップじゃないと?」
 彼はまっすぐ女の目を見た。女はにやりと笑った。
「そうね、まだまだ腕は荒いわ。まず狙撃ポイントのセレクト。あの人は入口を日によって変えてたし、あの時外まで私を迎えに出たのは偶然よ?もしあのまま永遠に正面玄関を使わなかったらどうするつもりだったの?それにあなたがいたあのビルは、屋上から出口まで一本道だったそうじゃない?万一屋上にいる姿を見られたら、どうやって逃げるつもりだったのかしら?それに、あんな中年相手にワイルダーCS7なんてセレクトするのはどうかと思うわね。口径は大きいけど銃声も大きいし無駄な破壊が多い。銃身は大きくて組み立ても煩雑、咄嗟の時に逃げにくくなる。大した距離は無かったんだし、もうちょっと大人しい銃にすべきだったんじゃなくって?ねぇ坊や?」
 一気に捲し立てられて、彼はぐうの音も出なかった。全く女の言う通りだった。
「あなた同様、まだ声をかけてる段階だけど、うちにはとんでもないつわものが揃う予定なの。ほぼ確定って言っていいわ」
「誰だ?」
「んー守秘義務があるんだけどー…北半球最強の准将とか、黒獅子さんとか」
「まっ!!」
 思わず彼は立ち上がった。周囲の客がこちらを見た。彼は気まずそうに座りなおした。
「お、おいアンタ。その名前出すってことは素人じゃないよな?与太でその名前使ったらどうなるか…」
「知ってるわよ?与太じゃないから出すの。ちなみに准将は黒獅子さんの戦友で、私はその教え子」
 彼は白紙のような顔をしていた。信じられない話であった。だが嘘やブラフではない。女の出した名前は、こんな取引の材料で気安く出してはならない名前だった。
 女は笑みを浮かべながら続ける。
「どう?そんな人たちと一緒に仕事をして見たくはない?久しぶりに観測手をつけて撃てるだろうし、戦場で撃つ事もあるわ。今の仕事より稼ぎが少し劣るかもしれないけど、会社勤めも悪くなくってよ?」
 女は彼を見つめた。彼は冷や汗が出るのを感じた。この女、いくつの顔を持っているんだ。
 さっきは少女のような顔で自分のコネクションを自慢し、その前は切るような目で彼の仕事の粗を指摘していた。そして恐らくその前は、獣のように気配を完全に消して彼の前に座り、新聞の向こうからメデューサのような目で彼を睨んでいたのだろう。直接見ていたら石になっていたに違いない。
 そして今はサキュバスのような目で、彼を誘っている。
「…もし断ったら?」
「警察署にあるあなたに関する資料が増えるかもね」
 彼は笑った。役者が違いすぎて駆け引きをする気にもなれない。
「OK、いつ出社すりゃいいんだい?ボス」
「今のところ未定よ。あなたのお陰でお金の目処が立ってないの」
「そりゃすまない。お詫びにいい銀行紹介するぜ。今夜10時頃に、9番街のムーラン・ノワールってクラブに行ってみな。ハゲ狸が女5人くらいと遊んでる。その写真を撮ってパブロバンクに行けば、利息サービスしてくれんじゃね?」
「あらー、いいのかしらそんな情報漏らして?」
「仕事の邪魔しちまったお詫びだよ。昔キャンセルになった依頼があってね。奴が標的だった。依頼人は前の奥さんだったよ」
 彼はそう言いながらペンを取り出し、、カフェオレの乗っていたコースターに番号を書いた。
「俺の番号だ。勤め先が決まったら連絡してくれ」
 彼は立ち上がり、店を後にした。



 それからさらに二週間が過ぎた。あれ以来仕事は来ていない。彼は自室のソファに寝そべって、TVで野球観戦をしていた。


 電話が鳴った。三回コールして切れた。
 そういえば「マスター」には転職の話をしていなかった。一本電話を入れるべきかと思ったが、ここで無視しておけば、彼が死んだか仕事をやめたと思ってくれるだろう。彼はTVを見続けた。


 電話が鳴った。今度は二回コールして切れた。
 彼は思わず起き上がった。なぜ二回で?今までそんなことは…。


 電話がまた鳴った。彼はすぐに出た。
「ハロー?」
『やっぱりいたじゃなーい』
 あの女社長だった。
「アンタか…妙なかけ方して来ないでくれ」
『んー合図っぽくていいじゃない?それより、あなたのおかげでやっと仕事が始められそうなの。すぐ来られるシルバー?』
「シルバー?」
『ああ、仕事の性質でコードネームで呼ぶことにしてるの。以後あなたの呼称はシルバー・ブレット。素敵でしょ?』
「あぁ、まぁな…」
 色々複雑な名前だったが、この女に抗議するのは疲れそうなのでやめた。
『じゃ、グリプスアベニューのパレットスクウェアに来て。迎えを遣すわ』
「ああ、すぐ行く」
 彼は受話器を置いた。と、そこで強い既視感に囚われた。なぜ?前にもこんなことが…。



 今度から二回にするか。



 彼はキッチンに飛び込み、引き出しからあの女が持っていたアイスピックを取り出した。その柄には真っ赤なキスマークがついており、引き出しの中に口紅でこう書かれていた。

 Shall you killed me? boy (私を殺せたかしら?坊や)

「あ…あの女……!?」
 彼は今まで感じたことの無い寒気を覚え、そこから逃げるように部屋を出た。




(了)