シルバーの車は、湾岸再開発地区にあるブルーラインホテルへと入った。エレベータで最上階へ上がると、そこは真っ蒼な海の水平線を一望できるラウンジだった。
「わあぁ…」
 ため息のような歓声を上げるソラ。その横顔を、シルバーは満足げに見ていた。
「ここで食事にするのか?」
「んーまぁ、メシといえばメシかな?こっちだ」
 シルバーが案内した先は、レストランだった。中に入るとソラは、トレーとお皿と小さなトングを渡された。
「なんだ?これは…」
「わかんねぇか?あれだよ」
「ひゃ…!」
 シルバーが指差した先の光景を見て、ソラは一際高い歓声を上げてしまった。キングサイズベッドのような巨大なテーブルの上に、色とりどりのケーキが山のように並んでいた。その光景が既に一つの芸術のようである。
「ケーキバイキングだ。食えなくなるまで食っていいぞ」
「本当か!?」
 振り返ったソラの顔は、もう普段の沈着冷静な戦士のものではなくなっていた。
 吸い寄せられるようにケーキの山に歩み寄るソラ。だがあまりのケーキの多さに、トングを持ったまま目移りするばかり。まるでおもちゃ倉庫にに放り込まれた子供のようだった。
 シルバーは甘いものは食べないほうだが、あのままでは閉店まで迷いかねないので、選ぶのに付き合ってやることにした。

 かくして十数分後、ソラの皿の上には大小様々選取見取種種雑多支離滅裂なケーキたちが並んだ。その光景が既に一つの事件のようである。
 周囲の客たちは、桁違いの美男美女が桁違いの量のケーキを抱えているさまを、もはや遠慮もなく眺めていた。
「お、お前ねぇ、おかわり自由なんだから、そんなに一度に抱えなくても…」
「知ってる。これを食べたらまた取りに行く」
「はい?」
「全種類食べ比べることにした。一番おいしかったのをおみやげにする」
 聞いたこともないような楽しげな声で、ソラは信じられないことを言った。シルバーは自分が取ったビターチョコの小さなケーキが、そのまま器量の差を表しているような気がした。



「はぁ…おなかいっぱいだ」
 満足そうな顔でソラは助手席に乗る。
「ま、満足してくれたら何よりだ」
 シルバーはエンジンをかけながら腹をさっすった。ケーキ一つしか食べてないのに、えらく腹が膨れている気がした。
「結局土産買わなかったじゃねえか」
「あぁ、全部おいしくて迷っちゃって…。今度みんなで行こうと思った」
「あーそれがいいや」
 シルバーは、普段全く見られないソラの女の子らしい一面が覗けたのが、少し嬉しかった。
「次はーっと、どこ行くかなぁ」
 エンジンを温めながら、シルバーは頭に手をやった。本当に無計画なのだ。
「シルバーは、オフの日は何してるんだ?」
「俺?俺は銃を手入れしたり、ジム行って汗流したり…」
「普段もやってるじゃないか」
「いやー、何だかそんな事でもしてないと落ち着かなくて…」
「意外と真面目なんだな」
「意外は余計だコラ」
 シルバーが突っ込むと、ソラはいたずらっぽく微笑んだ。何ということだ。こんな表情は初めて見た。彼女は普段こんな顔で笑うのか。シルバーは思わずその顔を見つめたまま動けなくなった。
「どうかしたのか?」
「へ?あ、いや何でも…」
 どぎまぎして前に向き直った。自分の行動がたまに気恥ずかしくなる。
「あ、じゃあホビット行くか」
「ホビットデパートか?何を買うんだ?」
「お前のほしいもの」
「え?」
「何かあるだろ?」
「それは、あるけど…」
「ん、じゃあ行こう」
 シルバーがアクセルを踏み込むと、車は滑らかな加速で飛び出した。

 翌日、環状リニアレールの駅の前で、ソラはシルバーと待ち合わせた。
 シルバーは真っ黒な愛車で駅へと向かう。が、道中気が気ではなかった。
 自慢ではないが、シルバーは端正な顔立ちとモデルも逃げ出すほどのスタイルで、少年期から女性に不自由したことはなかった。社内でも五指に入るイケメンと評され、女子社員の支持はキールと二分するほど熱い。ちなみにマスコット部門で、リクが本人の知らないうちに殿堂入りを果たしている。
 そんな彼であれば、デートなど茶飯事の出来事であるし、女性の扱いは銃の次に慣れていた。しかしどうしたことか、昨夜はあまり寝付けず、今日もどこかふわふわした気持ちでいた。まるで中高生の初デートだ。

 駅に着くと、週末という事もあり人で溢れかえっていながら、ソラの姿はすぐ見つかった。周囲のどの女よりも際立ったオーラを放っていたからだ。当然道行く人は皆一様に彼女に視線を送り、女性は近くに立ちたがらず、彼女の周りに自然と空間が出来上がっていた。
 クラクションを一度鳴らす。ソラが気づき、駆け寄って助手席に座る。白いTシャツにホットパンツというラフなファッションであったが、この完璧な体躯はあらゆる衣装を最高の逸品に見せる能力を擁していた。
「わりぃ、待たせたか?」
「いや、さっき来たところだ」
 お約束のやり取りがあって、シルバーは車を走らせた。
「どこへ行くんだ?」
 ソラに聞かれ、シルバーは悩んだ。
「や、決めてないよ。ソラの好きなとこ行こうと思って」
「それじゃ駄目だ」
 意外な返答に、一瞬シルバーはソラの方を見た。
「へ?な、何が駄目なんだ?」
「今日は私がシルバーに礼をする日だ。私よりシルバーが楽しまないと意味がない」
 助手席からまっすぐこちらを見たまま、ソラは叱りつけるように言った。シルバーは豆鉄砲を食らったような顔をして、やがて吹きだして笑った。
「プッ…クククク…」
「何がおかしい?」
「い、いや。わりぃ、何でもない」
 そう、彼女はデートというものを知らないのだ。いや、恐らく今日はシルバーのために何かしてやろうと必死なのかもしれない。デートとは女が楽しめれば男は満足で、一緒に楽しめればなおよろしいという原則は、彼女の頭にはないらしい。
「わかったわかった。じゃあそうだな…お前普段オフの時はどこ行く?」
「え?どこって…みかんでケーキ食べたり」
「それ会社の近くの喫茶店じゃん。あそこでデートってのもなぁ……あそうか。よし、じゃあまず腹ごしらえだ」


「ってなわけでな、まぁその場の勢いというか慰めのジョークというか、軽く言ったつもりだったんだが…」
「ほっほおぉぉう、男前じゃねぇかシルバー。で?どーするわけ?行っちゃうわけ?」
 キールの目は全く笑っていない。
「いやーまぁそれはあれだぁ、本人が折角誘ってくれてるわけだしー、無碍にするのも男としてどーかなーと…」
「冗談で誘ったのに?」
 リクの目は全く洒落になってない。
「いやーそれはだねぇ、誘う気がなければ冗談でも誘わないわけで、状況が状況だけにそうなっちゃったみたいなーあー」
 しどろもどろとは正に是。シルバーは目をトビウオのように泳がせて弁明している。
「なにをしてるんだそこで?」
 と、ソラがやって来て後ろから声をかける。
「お、お姉ちゃん!デートするって本当!?」
 リクが飛び掛るようにたずねる。
「ああ、それが約束だ」
「でもでも!お姉ちゃんはそれでいいの!?」
「いいもなにも、シルバーとの約束は果たさないわけには行かない。私のせいでシルバーは命の危険に晒され、狙撃主の命とも言える右腕に怪我を負った。その侘びは一生かけてもしなければならない。デートでいいなんて、かえって悪く思うくらいだ」
 リクはぐぅの音も出ない。キールがため息をついて言う。
「ま、そりゃそーだな。デートで済めば安いもんだ」
「隊長…」
 援軍を失ったリクが、心細そうな声を出す。
「だがなぁシルバー。この事をカイさんは素直に許してくれるかなぁ~?」
 キールの笑顔が魔物のように変わり、シルバーの顔色が真っ青になった。
 ソラとリクの父カイは、戦争に携わるものなら名を知らぬものはいないという伝説的傭兵である。現在はAEGISで傭兵部門を取り仕切っているが、今なおその手腕と影響力は、彼がいる国とその隣接国から、騒乱の種が消えうせるといわれるほどだ。
 しかして一度姉弟の前に立てば、これまた比肩するものもないほどの親馬鹿を発揮する。そのギャップは社内でもお約束のように語り草になっている。
「父さんの許可ならもらった。だから誘ったんだ」
「はい!?」
 ソラの答えに、三人が同時に素っ頓狂な声を上げた。
「事情を説明したら許可してくれた。社会勉強して来いって。みんなが思うほど理解のない人じゃないよ。小遣いも財布ごとくれたぞ。何かあったら使えって。ほら…あ!」
 と、ソラが財布をポケットから取り出そうとしたとき、大きな財布が手から零れ落ちた。
 がしゃん。と音を立てて落ちた財布からは、軽自動車くらいは買えそうな額のお金と、黒く小さな箱が飛び出し、破片をばら撒いて割れた。盗聴器であった。
「…いい、もう何も言わん。楽しんで来い」
「あぁ、ありがとう…」
 今この盗聴器の受信機の前で、カイがどんな顔をしているか。キールもリクも想像するだけで不憫で仕方がなかった。