「いやああぁ!!誰かあ!!」
 ソラの後方で金切り声がした。週末の人ごみの向こうで、何か異様な動きがあった。ソラは反射的に踵を返し、人ごみを分けて走り出す。シルバーがやや遅れて追いかけた。
 ソラが駆けた先に、老齢の婦人が座り込んでいた。あたりには彼女のものらしき小物が散乱し、周りの人々はやや遠巻きにそれを囲んでいた。
 ソラは婦人の肩に手を置いて声をかける。
「おばあさん!どうしました!?」
「あぁ助けて頂戴!ひったくりよ!バッグを取られたの!」
 婦人が指差した先に、小さく赤いシャツの背中が見えた。人ごみを蹴散らすように走っている。ソラは陸上選手のようなスタートダッシュを披露しながら、その背を追った。
「おいソラ待…ったくあいつは…」
 ややあってシルバーが婦人の元へ追いつく。
「ばあさん、怪我は?」
「あぁ、私は大丈夫よ。それよりバッグが…あぁ…!」
 すっかり動転している。シルバーは婦人を落ち着かせるよう、低いトーンの声で話しかける。
「大丈夫ですよ。さ、立てますか?ゆっくりでいいですよ」
 婦人はどうにか立てたものの、顔が相変わらず真っ青だ。
「シルバー!」
 ソラが戻ってきた。
「ソラ、いきなり飛び出す奴があるか」
「すまない…」
 婦人がソラに縋りつく。
「バッグは!?どうなりましたか!?」
「申し訳ない。見失ってしまって…」
 履きなれない靴が災いした。
「あぁ…そんな…」
 婦人は再び座り込んでしまった。
「ばあさんしっかり!そんな額が入ってたのか?」
「違うわ、お金は大して入っていないの…それより髪飾りが……」
「髪飾り?」
「えぇ、私の主人が昔戦争に行く前の日に、私にくれたものなの。それっきり帰って来なかったけど…家族と命の次に大事なものなの……ああぁぁぁ…」
 婦人は泣き崩れた。ソラは深い哀れみと強い怒りを覚えた。
「シルバー、すぐ警察に…」
「無駄だよ。あんな小物のために警察は動きやしない。証拠隠滅が簡単で、現行犯じゃないと捕まえにくいからな。金だけ抜いてバッグを捨てれば、こっちはお手上げさ」
 酷いが、それが現実であった。婦人は声を上げて泣いている。ソラもまた泣きそうな目で婦人の肩に手を置く。慰めの言葉も見つからない。
 しかし一番つらいのは彼だった。折角のデートを邪魔された挙句、ソラの顔は曇る一方で、このままでは今日明日回復ではしないだろう。
「あーったく!しゃーねぇ。ばあさん、住所教えな」
「え…?」
「届け先だよ。髪飾りのな」

 数十分後、店員に連行されてソラは戻ってきた。
「ど、どうか…な?」
 白を基調にしたミニスカートワンピース。胸元にはボタンサイドのフリル。黒のストッキングにブラウンのハーフブーツ。かわいらしいハンドバッグまで携えた、完璧すぎるカジュアルワンピースだ。
「いかがですかお客様?私もここ数年で一番の出来栄えと自負しております」
 どこか誇らしげに店員が言う。そりゃそうだろう、元が図抜けて出来上がってるのだから。恐らく半径5km以内に彼女以上におしゃれな女はおるまい。
「最ッ高だ!似合ってるぜソラ」
 シルバーは両手を広げて感動を表現した。
「あ、ありがと……」
 慣れない応対に、視線をそらしもじもじするソラ。あぁなんとかわいらしいことか。
「それ着ていこうぜ。着てきたやつは包んでもらってさ」
「ではこちらへどうぞ」
 再び店員に案内され、ソラは店の奥へと行った。その間にシルバーは、別の店員にカードを渡して会計を済ませた。
「シルバー、お待たせ」
「よし行くか」
「あ、でもお金が…」
「もう済ませたよ」
「ええ!?」
「さ行くぞ行くぞ。ありがとなねーちゃん」
 ソラが抗議する前に、そそくさと店を出るシルバー。ソラは慌てて後を追った。


「ちょっ、待ってくれシルバー。いくらなんでもそれは…」
「いいんだって。デートで女に金使わせるのは野暮だろ?」
 デパートの表の通りを、少し早歩きでシルバーは歩く。慣れない靴に戸惑いながら、ソラは必死に追いすがる。
「でも、さっきのケーキだって…」
「安いもんさ。それに最近プライベートで金使うことなくってさ、妙に溜まっちゃってたのよ。有意義に使えて嬉しいぜ」
「ダメだ!」
 居合い抜きのような声に、シルバーは思わず立ち止まり振り返った。ソラが往来の真ん中で、迷子のように立ちつくしていた。
「なん…だよ?何が駄目なんだ?」
「私は…今日はシルバーのために来たんだ。なのに、シルバーに色々してもらうばかりで…私は何もしてあげられてないじゃないか。それじゃあ駄目なんだ。お詫びにならないじゃないか!」
 聞いたことのない、悲哀すら帯びた声だった。あぁそうだ、最初に言っていた。シルバーが楽しめなければ意味がないと。
「なぁソラ。オレ今不満そうに見えるか?」
「え?い、いや…」
「どう見える?」
「えっと…なんだか、楽しそうにしてる」
「大正解!オレは今すっげぇ楽しいんだよ」
「どうしてだ?ケーキも全然食べてないし、私なんかにこんな高い服買って、なんで楽しいんだ?」
 シルバーはソラを、この場で抱きしめてやりたい衝動に駆られた。どこまでも優しくて不器用で、人との付き合い方を知らないあまり、そんなことで心を痛めていたなんて…。
「そういうもんなんだよ。男なんて、女が傍で笑っててくれれば、およそ事も無く済んじまうんだ」
「……わからない、わからないよシルバー。私は…シルバーの命を…」

 ホビットデパートは、国内有数の大型ショッピングセンターである。野球場十面分はあろうかという売り場面積と、糸一本から宝飾品に至る幅広い品揃えが自慢だ。
「さ、着いたぜー。何買うんだ?」
「え?えっと、とりあえず地下で食糧を買って、あと洗剤とか…」
 シルバーは頭を抱えてしまった。
「あのねソラちゃん。そんなもんいつでも買えるじゃない?折角デートできたんだからさ、もっとこう…お洋服だとか、アクセサリーだとか」
「あぁ、そういうものはあまり買わないんだ。何ていうのかな、そういうものにあまり興味がなくて…今日の服だってホラ、なんか変だろう?」
 改めてソラのファッションに目をやるシルバー。確かにそれ自体は地味でラフだが、恐らく半径300m以内に彼女以上におしゃれに見える女はおるまい。
「いつもの仕事着は?あれかっこいいじゃん」
「あれはアテナさん…じゃない、社長がくれたんだ。入隊祝いって言って」
「あー、あれ社長の趣味か」
 AEGISの社長、アテナ・モスコ・ミュールはカイの家族と公私にわたって付き合いがあり、ことソラとリクは昔から実の子(というほど年齢差はないのだが)のように可愛がっていた。
 とはいえこのままでは、本当に普段通りのお買い物に終始しかねない。
「よしソラ、今日は全身コーディネートしてやる」
「コーディ…って、シルバーが?」
 ソラはシルバーのセンスを認めてはいるが、男性が女性の服を選ぶことに抵抗があった。
「まぁ任せなさい。ほらついて来い!」
 シルバーはソラを引っ張るようにして歩き出した。三歩ほど歩いたところで、えらく不躾な手の繋ぎ方をしてしまったと後悔したが、今更放すのも不自然な気がしてそのまま歩いた。

「いらっしゃいませー」
 シルバーとソラがやってきたのは、1階に居を構える高級ファッションブランドの店だった。落ち着いた内装と美術品のように飾られた洋服の数々に、ソラは借りてきた猫のようにどぎまぎした。
 出迎えた女性店員も美形であったが、二人を見るなり一驚した。
「な、なぁシルバー。ここは少し高そうだぞ?」
「まーかせろって。ねーちゃん悪いけどさ、この子全身そっくり見繕ってもらえる?センスはねーちゃんに任せるわ」
 言われた店員は少し驚いた。この映画女優のような女性をコーディネートせよだなんて、普段ではまず仰せつかれないお仕事だ。
「よろしいんですか?」
「金はぼちぼちあるからさ、プロの仕事見せてよ」
「まぁ、かしこまりましたわ。さぁお嬢様、どうぞこちらへ」
 今度は店員に誘拐されるように、ソラは店の中へ入って行った。シルバーに向ける視線が、底抜けに心細そうである。シルバーはそんなソラの挙動もたまらなく可愛く思った。
 見立てが終わるまで、店の隅に設えられたソファに座って待つことにした。ところでなぜ彼がこんな店を知っていたかというと、以前ソラくらいの歳の子とデートしたときに連れてこさせられたからだ。およその値段もわかっていたので、買い物もしやすいというわけだ。