日が西に傾きかけていた。犯人はおろか、建物に出入りする人すらいない。
「ガセ掴ませやがったか?あのタコ」
「まだ決まったわけじゃ…あ!」
 ソラが声を上げた。見ると、赤い派手なシャツを着た、柄の悪い若者のお手本のような男が歩いてきた。
「間違いないか?」
「ああ」
 ドアノブに手をかけるソラ。が、シルバーがそれを制止する。
「待て!ここじゃ逃げ道が多い。中に入ったところを押さえる。いいな?」
「あ、あぁ。すまない」
 らしくもないとシルバーは思った。このくらいはソラにだってわかることだろうに。かなり頭に血が上っているようだ。
 男はアパートの中へ入っていった。しばらくすると、二階の部屋の明かりがついた。
「あそこか…」
 二人は目を見合わせた。
「行くぞソラ」
「ああ」


 コンコン。と、扉をノックする音。 
「ごめんくださーい。下の階のものですがー」
 シルバーが言う。と、部屋の中でガシャガシャと物音がして、窓を勢いよく開け放つ音がした。男が異変に気づき、窓から飛び降りたのだ。
 男は裏の道に倒れるように着地し、急いで起き上がろうとする。が、そこで動きが止まった。彼の鼻先に、鋭く尖った木の棒が突きつけられていた。そこにいたのはソラだった。
「立て」
 冷たい声に男は悪寒を覚えながら、ゆっくりと立ち上がった。すぐさまシルバーが降りてきた。
「ひゃー。情けないほど馬鹿正直に引っかかってくれたな」
 初歩的な…そう、目を見合わせただけでわかってしまうほどの突入作戦だった。木の棒は、捨ててあったモップの柄をソラが折って作った。
「さてと兄ちゃん。俺らは警察じゃない。故にあんたに黙秘権も弁護士を呼ぶ権利も、留置所でぬるいメシにありつく予定もない。今日ばあさんから引ったくったもの出しな」
「へ…なんのことだよ?」
 のどに棒を突きつけられ、青い顔をしながら男は言う。が、シルバーが懐から銃を抜き、男の額に突きつけると、その顔は白く変わった。
「次の返答次第じゃ、どっちかの世話になるぞ。言ったろう?俺たちは警察じゃないって」
「わわわわわかった言うよ!!バッグは捨てた!」
「中身は」
「さっき飲んで使っちまったよ!」
「それだけじゃねえよな?」
「……」
 嵐のように冷や汗をかきながら、男はゆっくりとポケットから髪飾りを取り出した。シルバーが取り上げる。
「キャバクラの女にでも貢ぐつもりだったのか?」
「た、高そうだったから、明日売ろうかと思ったんだ」
 確かに、素朴な意匠ながら宝石を小さくあしらった、かわいらしい髪飾りだった。
「じいさん奮発して正解だったな。安物だったら今頃ドブの中だ。やっぱ金は使うべきときに使うもんだ。さてどうする相棒?仕置き代わりに指でももぎ取るか?」
 ソラは男をにらみつけたまま答える。
「いや、治ったらまた同じことをするだろう。彼自身掃除してしまったほうがいい」
「ひ…!!」
 情けない声を上げる男。シルバーはにやりと笑った。
「ま、それもそうだな。先に車戻ってる。さっさと済ませろよ?」
「あぁ」
 シルバーは振り返り、その場を後にする。


「ひぎゃああああああああああ!!」

 夕暮れ空に断末魔の悲鳴が木霊した。


 シルバーが運転席で待っていると、ソラがやってきて無言のまま助手席に座った。
「終わったか?」
「…あぁ」
 二人は目を合わせた。冷たい視線が交錯する。仕事を終えた戦士の目だ。
「……ぷっ。クックックッ…ハッハハハハハハハハ!ひゃーっはっはっはっはっは!」
 シルバーはハンドルを叩いて大笑いをした。ソラも口を押さえて笑っている。
 裏道の上では先ほどの男が、顔の真横に棒を突き立てられ、失禁しながら失神していた。

 サンダウンヒルは市街地から西へ離れた場所にある、主に低所得者層の住むアパートが多い地域である。俗に言うスラムであった。
「おーあったあった」
 二人を乗せた車は、赤レンガの古めかしいアパートの前に止まった。部屋数は10かそこらだろうか。
「さってと、なあソラ。犯人の顔見たか?」
「え?あぁ、横顔と後姿くらいしか…」
「ん、まあ上等だろう。ああいう連中は真っ直ぐサヤには帰らないから、ここで戻って来るのを待つしかない」
「バッグは…髪飾りは取り戻せるのか?」
「そこは賭けだな。さっきも言ったが、収穫をどこかで確認して、中身を抜いてバッグを捨てるのが常套手段だ。奴がバッグごと持ち帰る可能性に賭けよう」
 シルバーはサングラスをかけ、少し背もたれを倒して腕を込んだ。
「おいシルバー。こんなときに昼寝なんて…」
「寝た振りだよ。怪しまれるだろ?お前もシーと倒しとけ」
 ソラは少し納得行かない顔をして、仕方なく言われたとおりにシートを倒した。
 気まずい沈黙が訪れた。否、寝た振りをしているのだから仕方が無いが、まさかデートの途中で張り込みをするとは思わなかった。
「シルバー…」
 小声でソラが言う。
「なんだ?」
「すまない、巻き込んでしまったみたいで…」
「乗りかかった船だ。沈むまで付き合ってやらぁ」
 得意の軽い口調で答えた。
「シルバーはすごいな。電話一本で犯人の居場所がわかるなんて。私には出来ない」
「お前だって、電話一本で世界最強の傭兵が飛んでくるじゃねーか。誰もかなわねぇよ」
「それは…私の力じゃない」
「オレだってそうさ。みんな何かしら頼って頼られて、そうして生きてんじゃねえか」
「うん…あ、そうだ。前から聞きたかったんだけど…」
 張り込み中に過度な私語はご法度なのだが、こんな機会も滅多にない気がしたので、シルバーは付き合うことにした。
「なんだ?」
「シルバーって、どこで狙撃を学んだんだ?あれほどの腕を持ってる狙撃種なんて、滅多に見ないぞ」
「光栄だね。オレは…マリーン(海兵隊)の練兵所にいた。卒業してすぐやめたけどね。世界で名のある狙撃手は、大体どっかのマリーン出身だ」
「へぇ、知らなかった」
「あの会社じゃ、あまり人の過去を詮索しないからな。お前はどこで仕事を…あ、そうか。カイさんに教わったのか」
「いや、基礎的なことは教わったけど、それ以外はオープンヤードで習った」
 シルバーは飛び上がるほど驚いて、クラクションを鳴らしてしまった。
「わ、わりぃ。お、オープンヤードにいたのかお前!?」
「あぁ、言ってなかったか。父さんに傭兵になりたいって言ったら、そこでの訓練を達成できたら考えてやるって。そのころ准将はいなかったけど、104期卒業の資格をもらった」
 さらっと言ってはいるが、にわかに信じ難い話だった。いや、カイの娘ならあり得る話なのだろう。
 北半球最強の部隊と恐れられた、トリニタリオ王国陸軍第13特殊作戦部。その創設と訓練プログラム作成の中心人物こそ、今AEGISで教練部を任せられている鬼准将、グリーク・スティンガーである。
 彼の作った訓練プログラムはきわめてシンプル。来る者は拒まず去る者は追わず。国籍経歴問わず誰でも参加でき、続けられなくなったらいつでも辞められるという「開かれた中庭」の名が指す通りのものだ。
 しかしてその訓練の中身は「殺人未遂」と陰口を叩く者もいるほど過酷なもの。個人の権利や尊厳は塵芥より軽視され、生命の危機すら覚えるほどのしごきを受ける。そんな脱落率97%の訓練プログラムは、完遂した人間に会えることすら貴重だった。
「あとでサインくれない?」
「よしてくれ、恥ずかしい…」
 婦人から住所を聞きだし、帰路の足代を貸して帰らせると、シルバーは車に乗り、携帯を取り出した。
「なぁシルバー。疑っているわけではないけど、あんな約束して平気なのか?」
 助手席に乗ったソラが心配そうに聞く。シルバーは苦笑いのような顔で答える。
「できれば使いたくない手だけどねぇ」
 シルバーがどこかへ電話をかける。相手はソラにもきこえるほどけたたましい声で電話に出た。
『あいよー!?だれだー!?』
「ったく、また昼間から飲んでんのかチンピラ」
『あっれーアニキじゃないっすかー!ひさしぶりっすねー』
「そんな名前じゃねえっつってんだろタコ!それよりネタよこせ。大奮発して買ってやる」
『ほぇ?なんのネタっすかぁ?』
「ホビットデパートのあたりで、引ったくりやってるガキに心当たりは?」
『あぁ一人いますよ。たまにアガリ徴収してます』
「5本出す。すぐサヤ(アジト)を教えろ」
『ヒュー!マジっすか!?えっとねぇ、確かサヤはー…4番街のはずれ…いや違うなぁ、パークノースの駅だったか…』
「5秒以内に正確に答えろ。さもないとてめぇの指が五本吹き飛ぶぞ!?いーち!さーん!」
『飛んだ飛んだ!貴重な1カウントが飛んだ!あー飛んだら思い出した!サンダウンヒルの安アパートだ!赤レンガの5階建て!』
「言ってたのと全然違うじゃねぇか。部屋番は?」
『あー、そこまでは…』
「3本だ」
 吐き捨てるように言って、シルバーは携帯を切った。
「場所がわかった。行くぞ」
 エンジンに火を落とし、勢いよく駐車場を飛び出した。
「なぁ、今の電話は…」
「あー聞かないでおけ。面倒なことになる。精神的に」