さて、こうしてストーリーボードの作成が進み、スタジオが形を
なしてくるころから、実は徐々にある問題が持ち上がってきたのです。
それは、源太郎さんが特段に依頼していない複数の人物がスタジオに現れ、
あるいはスタジオの様子を見て回ったり、あるいは作品に対する意見を垂れて
いくようになったことでした。

私的には「はいはい」とご意見を拝聴しておけば済んだので、そこまでは
大した問題でもなかったのですが、これは源太郎さん的には大きな問題を
はらんでいた様でもありました。
というのも、これらの人たちには邦画界においては「監督」などとして多くの
実績を持つ方も混じっており、斯界の序列的には無視し得ない事情があった
らしいのです。

いっぽう、当時私はアニメーターになって10年目ではありましたが、
まだ20代。この年やっと29歳になったばかりでした。
そもそも当時の邦画界にあってはアニメーターの経歴などまったく考慮の外で
ありまして、アニメスタッフには私より大幅に年かさの者もいませんでしたので、
有象無象の若造を集めて何かごそごそやっている、程度の認識であったのかも
知れません。


ここで本作スタッフの筆頭となっている「演出」の「八木晋一」についてお話し
することになります。
後代のデータではこの映画の「監督は八木晋一」とするものも多くありますが、
しかし、日本の映画やアニメーションの資料をいくら探してもこの「八木晋一」なる
人物は本作以外には見つかりません。
「八木晋一」はこの映画のために作られた架空の人名であり複数人の共同名義とする
文献も多いようです。

実は従来、八木晋一の正体については故意に曖昧にしていた部分がありまして、
その所為かその説もいろいろと分かれている様子ですが、もういいでしょう。


「八木晋一」は全く私、杉山卓ひとりの別名であります。


この作品のディレクションに私以外の人物が加わった事実はありません。


制作現場に出没する人物たちは最終的に「しかるべき処遇」を求めてくる
公算が強く、このまま進むと格的なことから源太郎さんの意にも沿っていなければ
ディレクションの実態もない人物が「監督」や「共同監督」などとしてクレジットの
上位を独占することにもなりかねません。

さりとて今後の配給その他のことを思えばこうした人たちの顔を潰すわけにも
いきません。
源太郎さんとしては非常に難しい政治的な判断を強いられる局面であったかも
知れませんが、そこは後年、正真正銘の政治家として活躍される度量の方ですから
適格な方策を取られました。

まず、誰を据えるかでモメることになりそうな「監督」は置かないこととし、
筆頭スタッフを「演出」として架空人名とし、その成員もボカしたのです。
「八木晋一」です。

そして、しかるべき方々には「構成」などに納まって頂き、
「杉山卓」については「八木晋一」とは別にもクレジットすることとし、
「作画監督」ということになりました。

まあ、このころまでの東映の長編アニメーションでも「監督」は置かず、
「演出」を筆頭としていましたし、アニメーターがいろいろな名前を使い分けることも
よくあることでしたので、わたし的にはさほど抵抗のある処置ではありませんでした。

「八木晋一」という名も私が考えたものです。
この名前は「八方から頂いた皆様の御意見は、私が全部お聞きして一つに纏めて、
晋(すすめ)させて頂きました」という意味を込めたものです。


抽象的な講釈のうちはいいのですが、アニメーションという技法に慣れていないヒトに
中身までいろいろひっかきまわされてはコトですので、私も一つ工夫をしました。

制作にあたっては事前に那須野にロケハンに出掛けたのですが、
そのときに参考資料として撮影してきた実写映像がありました。
当時は現在のようなハンディなビデオカメラなどはありませんでしたので本式の
ムービーカメラとプロのカメラマンを帯同して撮影してきた映像でしたので、
クオリティ的には申し分のないものでした。

私としてはあってもなくても良かったのですが、実写ばたけのヒトの
注意を引き付けるべく、これを使って冒頭部に那須野の伝説を紹介する実写パートを
設けたのです。


そんなこんなもあったものの、各方面から集まってもらったスタッフの力は大きく、
アニメーション本体の制作作業自体は順調に進み、着手した昭和42年(1967)の
秋口までには劇場用長編アニメーション映画として形をなしていきました。

私としては虫プロで、むしろ虫プロという組織の中にありながら、寄せ集め的
スタッフで「W3(ワンダースリー)」を作ったり、岩波映画で実写映画の現場や実際を
体験していたりといった経験が図らずもかなり役に立った格好であったのかも知れません。

 

 

関白になった忠長を通じて朝廷の実権を握った玉藻は

奈良の大仏を破壊してその銅で自らの巨大な像を

建立させます。

一方、飛丸は破壊された大仏の胎内から玉藻を滅ぼす

ことの出来る「不動明王の鉾」を発見します。

飛丸は「不動明王の鉾」を手に、玉藻の魔力で動き出した

巨大銅像と対決します。