さて、モーターショーアニメのおハナシが正式に決まると、私は「作戦」を
考えることにしました。楽しい競争です。
月岡さんというか「ツキさん」は東映仲間で、「W3(ワンダースリー)」にも
参加してくれた旧知の間柄、
テレビシリーズ「狼少年ケン」の原作から動画までの大半を一人で描いて
しまったという伝説を持つスーパー・アニメーターです。
一方、久里さんは東映や虫プロとは系統の違う独立系のアニメーターですが、
数々の受賞歴を持つ短編アニメ作家としてはトップクラスのヒト。
どちらも作風はよく存じ上げています。この二人の作品と併映されて位負けしない
作品を作らなきゃいけない。
ツキさんの嗜好は企画から自分で立てた「狼少年ケン」によく表れています。
きっとアニメーションらしいアクションを重視した方向性で来るに違いありません。
久里さんは独立系らしいシンプルな絵柄で来そうです。社会派の側面もあるので
風刺の利いたアプローチなどもあるかも知れません。
そこで私はリアル路線で行ってみようと決めました。作中に出てくるクルマを
ちゃんとホンダのクルマと分かるように描いて、アクションもそれに見合った
リアルなものにしてみようと思い立ったのです
このころまでのアニメーションに登場する自動車は、至って抽象的な「くるま」か、精々「乗用車」とか「トラック」程度のもので具体的な車名が特定できるような
モノはほぼありませんでした。
テレビアニメにそれと判るように描いた実在のクルマが登場するようになるのは
「ルパン三世」あたりからになるのでしょうが、(丈彦記、大塚康生さんですね!)
これはそれよりも少しだけ前の話になります。
なにしろホンダ車の展示会場でホンダ車の出る映像を上映しようというのですから、目の前に同じクルマが展示され、説明さえされている訳で、いい加減な描写をしてはすぐにバレてしまいます。
まずは出すべきホンダ車の勉強から始めねばなりません。
ホンダこと本田技研工業は前回お話した酒井一美の目撃した「バタバタ」に
始まりました。荒廃した戦後の町でバタバタは大ヒットし、陸軍放出のエンジンを
売りつくした後はオリジナルのエンジンに切り替え、その売り上げで本田さんは
本田技研工業を設立します。数多ある自動車メーカーの中でも会社として完全に
戦後派なのはホンダだけです。
そして次に本田さんは完成品のバイクを作ります。ドリーム号です。ドリーム号は
抜きん出た高性能で、たちまちホンダを日本一のオートバイメーカーに
押し上げました。
日本一になるとホンダはすぐに世界に挑戦しました。世界のオートバイレースに
挑戦し、そして勝ったのです。
他方では私も買ったスーパーカブを作り、これが世界中で大ヒットしてホンダは
世界一のオートバイメーカーになりました。現在に至るまでホンダは世界一の
オートバイメーカーの地位を譲っていないようです。
昭和30年代に世界一のオートバイメーカーになったホンダは次には四輪車への進出を図りました。
なんでも本田さんは東京の自動車修理工場に丁稚に出る前から既に
「世界自動車競走の覇者になる」という巨きな夢を抱いていたそうで、
その四輪車進出も実に大胆なものでした。
高性能なスポーツカー、実用車としての軽トラック、世界自動車競走の覇者と
なるためのF1マシンの3つをいっぺんに開発して衝撃的な殴り込みを掛けたのです。
自動車メーカーが多過ぎると考えていた政府などは良い顔をしなかった様ですが、
このインパクトによってホンダは自動車メーカーの一画に割り込むことに
成功します。
しかし、ホンダのスポーツカーは500~800ccの小さなものでしたが、当時は日本人もやっと自家用車が持てるようになってきたばかりの時代、小さいとはいえオープンで
2人乗りのスポーツカーはやはり相当な贅沢品でした。そこで昭和42年(1967)、
ホンダはホンダ流の乗用車の決定版として軽乗用車を完成しました。これが
ホンダN360です。
だから、今の四輪でも大メーカーであるホンダと違って、この時分、ホンダが
売っている乗用車はN360と最初のスポーツカーの改良型であるS800の2車種だけ
でした。あとは軽トラックとオートバイしかありません。
どうしたってN360が主役なのです。アニメーションに出すクルマもN360しか
ないでしょう。
ともあれ、机上の勉強だけではまだ充分とは言えません。なにしろ会場には当の
N360のオーナーだってゴロゴロいるでしょうから。
そこでホンダにN360の試乗を申し入れました。クルマを買う時の試乗なら私も
何度か経験がありました。するとホンダは販売店とかではなくて工場に来てくれと
言います。そこで私は指定の日に埼玉にあるというホンダの工場に出向きました。
都内から見て板橋の向こうの方だったと思います。
ところが工場の人に導かれて着いた先は荒川の土手でした。土手の中の河原が
テストコースになっていたのです。
コースにはN360が準備されていました。
早速、試乗です。エンジンを掛けると、このころのホンダ車特有の賑やかだけど
軽やかなエンジン音を立てて発進です。
河原ですからコースは川に沿って一直線。2キロぐらい遡り、終点でぐるっと回って
もと来た道をまた戻り、流れに沿って下ってきたら、またまたぐるっと回って遡るの
繰り返しです。
(丈彦記:荒川の河原! N360の件自体は私もリアルタイムで憶えていますが、
その下準備で荒川のテストコースでN360の試乗をしたというのは今回私も初めて
聞きました。確かにホンダは高島平から数キロ遡った荒川の河原にテストコースを
持っていました。ホンダの荒川のテストコースは日本で最初の高速
テストコースとしてホンダが確保した、実はその筋では有名な存在で、ホンダの
最初のF1もここでテスト走行して作ったところなのです。そこを杉山卓が
走っていたとは!
なおこのコースは本当に一直線の直線路で、サーキット(回路)になって
いなかったので、もっと立派なテストコースや鈴鹿ほかのサーキットが
整備されると廃止になり、現在では元の河原に還っているとのことです)
ドライバーなら誰しも夢見たことのある、対向車も白バイも気にせずに、
クルマの限界までアクセルを踏み続けるというのを私もやってみました。
なにしろ軽自動車、それも現在の軽自動車と比べても半分ぐらいしか排気量のない
小さな車ですから絶対的な速度は実は大したことはないのかもしれませんが、
そこは同じくらいの大きさのエンジンのオートバイを作り馴れたホンダです、
ドライバーのヤル気を掻き立てるようなサウンドとともに軽快にかっとんで
いきます。行ったり来たり飽きるまで存分にホンダ車の真髄というのを堪能させて
頂きました。
さて、こうしてN360の実車も体験して、いよいよアニメを作る準備は整いました。
私自身もこの時分はもう車を買って、普段乗り回していましたから、自分のクルマと比較してホンダ車の個性や独特の技術を体感することが出来ました。
感覚的な部分では強い印象となったのはやはり活発な走り、具体的な技術面では
前輪駆動や空冷エンジンといったところでしょうか。
前輪駆動とは前の車輪を動力で回して走ること。今のクルマはよほどの高級車以外はそうですが、この頃は後の車輪を回すのが一般的でした。ホンダは先進的
だったのです。後ろから押すのより雪道や坂道に強いと言われていました。
もう一つは空冷エンジン。これは宗一郎さんの強いこだわりだったとも聞きますが、普通の自動車用エンジンはエンジンを水で冷やして、その水をラジエターで冷やして過熱を防いでいるのですが、それをエンジンに直接風を当てて冷やすのです。
オートバイのやり方そのものです。水やラジエターを抱えていないので
軽くできますし、当時は水冷式の水は本当にただの水で、夏場に沸騰して
オーバーヒートしてしまったり、冬場の駐車で凍り付いてしまいエンジンが
掛からないなどといったトラブルがよくあったのです。
「雪道や坂道で強いのか…」
どうも山岳部の出身なので、雪道とか坂道とかいうと遭難とかそんなイメージが
浮かんでしまいます。
ネガティブなものはダメでしょうし、そんなのはホンダは平気という作品にしても
誇大宣伝的なものはダメでしょう。
もっとアニメ的な…。
そこまで考えたとき、ふと思いつきました。
「ホンダVS雪女」というのはどうだろう…?
ふむ、面白いかもしれない…。
アイデアが決まればあとは普段のアニメ作りとやることは同じです。
私は早速アイデアを絵コンテに纏めることに取り掛かりました。
<モーターショー版の映像からいくつか>
冒頭シーンです。ホンダN360が雪の坂道を登っていきます。
主人公の男=N360のオーナーです。テレビCM版とはちょっとだけ違います。
遭難したクルマと出会います。テレビCM版には他車は一切出てきません。
これは雪女。こちらはテレビCM版とあまり違いません。
さてさて…




