さて、いっぽう、この唐突な「ご指名」の時の手塚さん側の事情はどうだったのでしょうか?

虫プロ入りした私がまず何をすることになったかというと、それはいきなり新作アニメの

構想を手塚さんといっしょに纏めるということでした。
聞けばなんでも放送開始までには半年ほどしかないとのこと。

お察しの通り、この「新作アニメ」こそが「W3(ワンダースリー)」となった作品だったのです。

放送開始まで半年程度とは言うものの、実は手塚さんはこの作品の漫画版の雑誌連載も
予定していました。その締切はもっとずっと早い。

アニメ版と漫画版はキャラクターやストーリーの大筋は共通でなければなりませんが、
1話ごとの細かいエピソードはそれぞれ自由にやる、というか、スケジュール的に

ほぼ並行して進んで行ったのでそうならざるを得なかったとも言えましょう。
少なくとも「手塚治虫のW3(ワンダースリー)」という漫画なり、その構想なりが

原作として先にあって、それをアニメ化するという段取りではなく、むしろ手塚さんと私で

アニメーションの企画を纏めていき、それをさらに手塚さんが持ち帰り、モトにして漫画版を

描いてゆくような手順で進んで行ったのです。

それを象徴するキャラクターがこれ、「星光一(ほし こういち)」です。

 

星光一(右) 左は弟の真一少年
「W3(ワンダースリー)」のDVDのパッケージより


このキャラ、いつもの手塚キャラとちょっと雰囲気違いませんか?(笑)

この星光一、現在では手塚プロが作成する手塚キャラクターの群像などにもちゃっかり

紛れ込んでいたりしますが、実はこのキャラクターをデザインしたのは私なのです。

もっとも「星光一」という名のキャラクターは私が来る以前からいました。

「W3(ワンダースリー)」のメインとなる主人公はワンダースリーの3人というか3匹と

光一の弟の真一少年ですが、むしろ作品が「W3(ワンダースリー)」となる以前の段階では

おはなしの主役は「星光一」だったのです。


星光一の由来を明らかにするにはこのアニメーションの企画の最初まで遡らなくては

なりません。
既にちらと記した通り、「W3(ワンダースリー)」の企画の始まりは手塚さんの

「ナンバー7」という漫画のアニメーション化の企画からスタートしました。

「ナンバー7」はこれもちらと記した通り集英社の「日の丸」という雑誌に連載されていた

漫画ですが、これは「W3(ワンダースリー)」とは全く異なった物語の漫画です。
当時の手塚漫画らしい未来の宇宙を舞台としたSFもので、地球防衛隊の7人のメンバーと

宇宙人の戦いの物語です。主人公の名は「大島七郎」。「W3(ワンダースリー)」と共通する

要素は宇宙人が出て来ることくらいでしょうか(笑)

最初はこの漫画をそのままアニメ化する企画だったそうです。ただし主人公の名前は

この段階で「宮本武蔵」に変わりました。名前は有名な剣豪の名を借りて変わりましたが

設定や容姿は「大島七郎」とほとんど変わらなかったようです。
しかしここで、この企画は一旦白紙に近いところまで戻ってしまいます。それは手塚さんの

耳にアニメ「レインボー戦隊」の企画内容の情報が入ったからだとされています。

「レインボー戦隊」とは昭和41年(1966)4月から放送された「レインボー戦隊ロビン」

(東映動画制作)のことです。この作品は、東映動画とスタジオ・ゼロのコラボレーションで

創られた作品であり、スタジオ・ゼロとは要するに石森章太郎君や藤子不二雄の

ご両名などのトキワ荘メンバーのことでありました。
昭和39年当時のことですが、40年早々には先行して漫画版も製作されており、

39年当時にはおそらくこちらもトキワ荘メンバーによって盛んに企画が纏められている頃で

あろうことから、企画内容が手塚さんの耳にも入って来たものと思われます。

「レインボー戦隊」というくらいですから主人公らは7人組の戦隊で、やはり宇宙人との

戦いの物語です。確かに「ナンバー7」と主要な要素が被っているわけですが、

ただ「ナンバー7」はもう2年も連載して前年には終わっている作品なわけですから、

どちらが先かと言えばやはり手塚さんの方が先なわけです。
しかし、この情報が耳に入るや手塚さんはオリジナル「ナンバー7」アニメをあっさりと

お蔵入りさせる決断を下します。このあたり、手塚さんのフロントランナーとしての

プライドのなせるワザというのが一般的な解釈になるのかもしれませんが、

私はこの頃手塚さんが抱えていたある「悩み」とも関連していると考えています。

また、息子が持ってきた「レインボー戦隊ロビン」の資料(息子丈彦注:Wikipediaですw)を

見ると、レインボー戦隊の7人のキャラクター毎に「石ノ森章太郎」「藤子・F・不二夫」

「藤子不二夫Ⓐ」「東映動画」などと発案者が明記してあってまさにわいわいと

合作していったさまが伺えるのですが、私にはこのへんのことも「W3(ワンダースリー)」の

誕生に微妙に影響しているように思われるのです。