ここに1冊の古い少年雑誌がある。版型は今の少年漫画雑誌と同じB5版。厚みも同程度。
誌名はそのまま「少年」。昭和四十年二月号とある。(背表紙だけ「一月号」なのは誤植か?)
昭和40年(1965)2月と言えば、ちょうど長男(このブログを手伝ってくれている息子)の
生まれた月でもあります。
もっとも日本の月刊誌の号名は「時刻表」以外は1ヶ月前倒しが慣例ですから、
この号の発売日も40年の1月早々と思われ、編集・印刷はさらに前年まで
遡ることになりましょう。
昭和30年代の少年雑誌の主役は月刊誌で、「少年」はその中でもトップを誇る
人気雑誌でした。
その「少年」のエースと言える連載漫画が手塚治虫「鉄腕アトム」です。
その一点でもこの当時の「少年」誌の圧倒的人気ぶりが伺えます。
しかし凄いのはアトムだけではありません。連載陣を見ると横山光輝「鉄人28号」、
関谷ひさし「ストップ!にいちゃん」、一峰大二「電人アロー」、藤子不二雄「忍者ハットリくん」
などなど人気漫画が目白押しで中には現在でも「当時の」という注釈がいらない
人気漫画もあります。
現物を手に取ってちょっと奇妙なのは、「鉄腕アトム」をはじめ人気連載陣の
占めるページ数が異様に少ないことです。
「鉄腕アトム」もフルカラーではありますが扉を含め数ページしか掲載されていません。
その種明かしは「別冊付録」で、目次をよく確認するとなんと人気連載の別冊付録が
5冊も付いていたようです。
これらはそれぞれ版型は本誌よりも小さいものの数十ページもある小冊子で、
人気連載は冒頭だけ本誌に載っていて、
以後は別冊付録でたっぷりと1話完結のエピソードを読める構成になっていました。
手許にあるこの号の別冊付録は失われてしまっていますが、
息子は昔、「ストップ!にいちゃん」の別冊付録を見た憶えがあると言っていますから、
当初はちゃんと揃っていたことは間違いないようです。
付録は5冊もの別冊のほかに「電人アロージャンピングカー」なる、
おそらくは小学館の学習雑誌の付録のような紙工作系のものも加えた6大付録とのことで、
随分盛り沢山な付録構成です。
人気上位連載陣が別冊主体となると、では本誌には何が載っているのかという話に
なりますが、もちろん中堅漫画陣が主体ですが、この頃の少年雑誌には文章ものの
ページも多くあるのが現在の少年漫画雑誌とは違っている点です。
文章ものはまず絵物語と呼ばれる形式があります。これは小説に挿絵が多く付いたもの
ですが、その絵の比率は現在のライトノベルなどよりも高く、ほぼページごとに挿絵が
あしらわれています。
狭義の絵物語は連載ものの冒険物語などが主体なのですが、
他にもちょっとしたショートストーリーやルポルタージュっぽいもの、
手品のタネや時事ニュースなど多岐に渡る文章ものが載っています。
実はそのあたりがこの本が我が家にある理由だったりするのです。
文章ものの一つ、「剣に生きた男」というのの絵を描いたのです。
つまりこの本は発行元の光文社から直接送られてきた見本誌というわけです。
これが扉。文章は北川幸比古さん。扉絵は別の絵師の方です。
例によってこの企画に関するこまかな段取りは忘れてしまっていますが、
北川さんとは岡部さんとともに「ドルフィン王子」の製作をしている真っ最中のことであり、
北川さんのルーティン的な仕事にお誘い頂いた格好であったのは間違いありません。
この企画の面白いのは扉絵のように私の他にももう一人絵師の方がいて、
そちらはご覧のように絵物語の挿絵風のリアルな画調であるのに対し、
私の方は漫画調で役割分担になっていることです。
中身はこんな感じ。文章と漫画が交互になっていて、面積的には北川さんの文章より
私の絵が占める方が大きい(笑)
漫画絵にはふきだしもあって大事なセリフは両方に出てきます。
多少文言が違っていたりしますが(笑)
漫画とは別に、別の方の純粋な挿絵もある。
編集部的には従来の絵物語と漫画の中間を狙った新しい試みのような
部分もあったのでしょうか。
まだスクリーントーンなどは一般的ではなかった時代なので、
こうした挿絵は薄墨を網掛け処理して中間トーンを出しています。
リアルな絵柄と相まっておどろおどろしい迫力充分です。
実際、こうした絵物語には流血シーンやホラー的なものも多く、
そうした雰囲気の盛り上げにはぴったりでした。
題材は近藤勇。短いですが、伝記物語のダイジェストのようなモノです。
よくよく本誌を眺めて見ると、北川さんはこの「剣に生きた男」(8ページ、
「スリラールポ」と冠されているがこの回はあまりスリラー要素はない)の他にも
「日本伝説めぐり」なるページも執筆されていて(内容は「百合若大臣」、
たぬきとカッパの伝説、「衛門三郎玉の石」ほか)各種伝奇伝承を17ページにも渡って
書かれています。
この当時「少年」編集部に北川さんがライターとして大変重用されていた様子が伺えます。
まあこんな感じで、私は岡部さんの誘いで「ヤマケイ」に漫画を描くようになって以後、
東映動画のアニメーターとしてとは別に他の出版社の編集さんたちとも知り合うようになり、
こんな感じで各種の挿絵なども描くようになっていたのです。
そしてそれは、ちょうど「ドルフィン王子」の製作を進めながらこの原稿を描いたりしていた
頃のことです。
私はある出版社の編集さんからとあるお誘いを頂いたのです。
その編集さんとは集英社の長野規さんでした。