結局のところ、私に関しては虫プロ入りしてテレビ動画(株)から離れる形に
なったわけですが、別段けんか別れしたわけでもないので、
一緒に「ドルフィン王子」を作った人々や「海底少年マリン」という作品とも
全く切れてしまったわけでもないという感じでした。
北川幸比古さんには「W3(ワンダースリー)」でも主題歌の作詞をお願いしたりしましたが
北川さんとの仕事で思い出深いのはなんといっても昭和43年(1968)の
カンボジア取材旅行です。
この頃は昭和39年(1964)に日本人の海外渡航が自由化されてからの
海外旅行ブームまっ盛りの時期でしたが、
北川さんのお誘いでカンボジアに取材旅行に出かけたのです。
目的地はアンコールワットでした。ハワイとかヨーロッパとかの人気観光地でなく
カンボジアへ出かけて行くあたりは我々的なところだったのかもしれません。
この取材は岩崎書店の企画で、少年少女向けのルポルタージュ性を持った読み物という
新ジャンルの意欲的なものでした。
執筆者はもちろん北川さんですが、私は同行絵師という位置付けでした。
羽田から飛び立ちプノンペンへ。このころはカンボジアはまだ平和な時代で、
我々は全く問題なくアンコールワットを参観することが出来ました。
堂宇を見て回ったり、森本右近太夫の落書を確認したり、
はたまたプノンペンの街で異国情緒を楽しんだりと現地での行動自体は
単なる観光客と大差なかったわけですが、帰国後、
その成果は1冊の本にまとめて岩崎書店から
「アンコールワットものがたり」のタイトルで刊行されました。
紀行文的なルポルタージュを軸に遺跡の歴史物語を織り込んだ読みやすい文章に、
現地で撮ってきた写真と、私の挿絵をふんだんにあしらった構成はユニークで
少年少女向けの読み物としては斬新なものとなりましたが、
その後幾ばくもなく、カンボジアは度重なる政変と戦争、果ては虐殺などで
すっかり荒れ果ててしまい、この本がカンボジアの平和な時代の様子を伝える
貴重な記録となってしまったのは全く予想外のことでした。
また、「海底少年マリン」という作品そのものとも切れてしまったわけではありませんでした。
最たるものは小学館の学習雑誌にマリンの漫画を連載したことでしょう。
当時「ベビーブック」から「小学六年生」までずらりと各学年揃っていた
小学館の学習雑誌のうち、「小学二年生」と「幼稚園」に昭和47年(1972)の4月号から1年間、
「海底少年マリン」の漫画版を連載したのです。
例によって様々な仕事を錯綜気味にこなしていた時期なので、
この連載を始めることになったきっかけや打ち合わせの詳細などは忘れてしまっていますが、
掲載誌が「小学二年生」と「幼稚園」であったのは、この年、
長男(このブログを手伝ってくれている息子)と長女がそれぞれ
小学校2年生と幼稚園年長であったからに他なりません。
私は岡部一彦さんに誘われて「山と渓谷」誌に漫画を描くようになってから、
一応「漫画家」の看板も出し続けてきたわけですが、今となって振り返ると、
このマリンの連載が漫画の雑誌連載の中でも一番本格的なものということに
なるのかもしれません。(それにしても低学年向けなのでページ数的には僅かなものですが)
今日のタイアップ漫画などはもっと組織的な意図のもと、戦略的な企画として漫画家に
発注されるものなのでしょうが、この連載のなんとも不思議なことは「海底少年マリン」の
新作放送は2年も前の昭和45年(1970)中には終わっていたことです。
息子にも確認しましたがやはり昭和47年のことで間違いないようです。
そういえば特段フジテレビ・エンタプライズに頼まれてというのでもなく、
小学館の編集者となんとなく、やりましょうというハナシになったような気もします。
万事おおらかな時代であったうえ、「マリン」は何度も復活を遂げていましたし、
再放送も盛んに行われていた関係で、「もうこれでおしまい」という感覚に乏しい作品で
あったというのはあるかもしれません。
<以下息子記>
マリンの連載は昭和47年で間違いありません。ちょうど同じ号から新番組であった
「ウルトラマンA(エース)」の漫画版の連載が始まって一緒に載っていたのですが、
4月号だけタイトルが「ウルトラエース」になっていたのを憶えていますから。
(「ウルトラマンA」の放送開始は昭和47年4月7日。なんでも商標問題に引っ掛かって
ギリギリのタイミングで改題されたそうですが、放送の方は間に合ったのに、
より修正は容易そうでも3月に発売されるタイアップ漫画には間に合わなかったようです)
小学館から送られてきた見本誌は当然のように私(息子)と妹に下げ渡されて、
古雑誌になる段階でマリンのページだけ切り取られ、ファイルされて、
原稿ともども「捨ててないから、まだあるはず」なんだそうですが、
例によってただちに見つけることは困難な様子。
そこでネット上で探してみると…ありました!当時の雑誌をスキャンしてくれている人が
います。
以下はその画像ですが、
私(息子)も当時以来の対面ですが、なんだか随分と色っぽいマリン君!
マリン君のスーツはもともと赤色なので青赤の2色刷りですが実に効果的。
こういう印刷物も最近は見なくなりました。