実はテレビ動画(株)で最初に製作したアニメーションは「怪盗プライド」という帯用の短編
シリーズでした。「帯(おび)」というのは毎平日放送する番組のことですが、
この作品はこの時点ではモノクロでした。私は演出や作画です。
「プライド」は原作が岡部一彦さんで、脚本は岡部さん、北川幸比古さん、前田武彦さんの3人で書いていました。
前田武彦さんは、あのマエタケさんです。もともと放送作家であった前田さんは
こういう仕事もされる方だったのですが、ラジオのパーソナリティなどもやっていたことから、
この後司会などもされるテレビタレントとして有名になっていったのです。
この作品は本命の30分シリーズより先に完成していたのですが、放送は30分シリーズよりも
あとになりました。
一方30分シリーズの方は、世界初のカラーテレビアニメーションということで
企画を進めていきました。
岡部さんが出した素案をSF作家としても実績のある北川さんが肉付けして纏め、
絵回りは私が担当しキャラクターやメカなど全て私がデザインしました。
一応の役割分担はそんな感じでしたが3人でわいわいと作っていったというのが
本当のところです。
「オキシガム」という水中での呼吸の代わりになるガムと「ハイドロジェット」という高速で
水中を移動できるシューズを持ち、特製のブーメランを武器とする少年が、
七つの海を舞台に海の平和を乱す者たちと戦う物語です。
当時から今に至るまで、SF的要素を持つアニメーションは多いですが、
そのほとんどは宇宙、ロボット、タイムトラベルの3要素に収斂してしまいます。
ところがさすがは児童向けSFに定評のある北川さんというべきか、
海洋を未来技術で自由に暴れ回る設定はユニークで、
今日まであまり類例を見ないものです。
この作品が後年分かりづらくなっているのは、タイトルやキャラクター名、
果ては放送局までもが2転3転していることで、
最初の放送時のタイトルは「ドルフィン王子」、主人公の名前も同じでした。
昭和40年(1965)4月4日、「ドルフィン王子」はフジテレビ系で放送が開始されました。
毎週放送のテレビアニメーションとしては(多分)世界初のカラー作品という
ふれこみでありました。
主人公のドルフィン王子の声は小原乃梨子さん、確かこれが声優デビューだったはずで、若々しい少年声を聞かせてくれました。
しかし残念ながらこの放送は最初から3話だけの予定でした。
3週、つまり翌々週ですから4月中にはもう終わってしまったのです。
テレビ動画(株)はまだ実績のない会社でしたから、制作体制の目途が充分でなくて、
こんなことになってしまったと思われがちですが、実際はそうではありませんでした。
先に書いた通り「鉄腕アトム」が始まって以降、同年中には「鉄人28号」も始まるなど
アニメーターの周辺は急速に多極化しており、東映時代の伝手から声を掛ければ
引き受けてくれるアニメーターは充分にいたのです。
原因は主に資金面でした。フジテレビが充分な資金(スポンサー)を
集められなかったのです。
テレビアニメが始まった当初のスポンサーはまず大手お菓子会社が定番でした。
「鉄腕アトム」は明治製菓、「鉄人28号」はグリコ、私がこのあとチーフディレクターを務めた
「W3(ワンダースリー)」はロッテの1社提供でした。
そもそもテレビ動画(株)は岡部さんが所属した東京光映とフジテレビの共同出資で設立
されたのですが、当時はフジもまだ開局から日が浅く、同じ民放テレビの東京キー局でも
先行した日本テレビやTBSに比べると格段の力の差がありました。
フジテレビは「鉄腕アトム」「鉄人28号」両作品の制作局でもありましたから、
むしろ番組としてのテレビアニメには先鞭をつけた局であったわけですが、
まだこの両番組が続いている時期でもあり、
大手お菓子会社の数にも限りがあったということなのかもしれません(笑)