「鉄扇公主」(日本公開タイトル「西遊記 鉄扇公主の巻」は民国30年(1941・昭和16年)、

中国製作の長編アニメーション映画です。
監督は万籟鳴と万古蟾の万氏兄弟。双子の兄弟監督です。上海で作られました。
当時は既に日中戦争の真っ只中で、太平洋戦争も始まろうという時期でしたが、
このころの上海は一応は中華民国でしたが日本の影響下にある南京政府(汪兆銘政権)の

統治下でしたからこの映画は翌昭和17年には日本でも公開されました。

私も例によって中野の映画館で見たのです。

「公主」とは中国語で「お姫さま」の意ですが、

「鉄扇公主」とは要するに日本の西遊記ものでは「羅刹女」と
呼ばれることが多いキャラクターのことで、

邦題からも分かる通り西遊記の一節、羅刹女・牛魔王・火焔山の
下りのお話をアニメーションにしたものです。

ここでいう「鉄扇」とは「芭蕉扇」のことということになります。

ではこの「鉄扇公主」とはどのようなアニメーション映画だったのでしょうか?

まず驚くのがこのアニメーションが73分という1時間超えの長尺作品であることでしょう。
東映「西遊記」の88分、「白蛇伝」の79分、「桃太郎 海の神兵」の74分などと比肩する

堂々たる長大作です。
(ちなみに世界最初の長編アニメーションと言われ、上記全ての作品に大きな影響を与えた

ディズニーの「白雪姫」は83分です)
フィルムはモノクロですが、もちろんトーキーで、日本公開版は吹き替え。

三蔵法師役は弁士としても有名な徳川夢声翁が宛てていました。

アジア最初の長編アニメーションが日本ではなく中国作品であることに驚く方も多いでしょう。

で、アニメーションとしてはどうだったかといいますと、この作品、1時間13分、

とにかく目まぐるしく動きまくります。激しく、躍動的なアクションシーンでいっぱいです。
この作品にも「白雪姫」の影響は大きく、ロトスコープが多用されていますが
「白雪姫」がどちらかというとリアルな動きを求めてロトスコープを採用した感が強いのに対し、
「鉄扇公主」ではとにもかくにも全編をアクションで埋め尽くすための補助としてロトスコープを
使ったとでも言いたくなるほどアクションに活かす使い方をしています。

もちろん中国でも初の試みとして作られたアニメーションゆえに技術的にはまだ未完成な

部分も多く、キャラクターの「顔回し」などはぐりぐりと造形が不安定だったりしますが、

そんなことに気を取られている暇がないほどに全編全画面動きまくります。

このような映画ですから、今と違って映像自体が少なかった当時、

これを見た子供たちがどれほど衝撃を受けて喜んだものでしょうか。

そう、そうやって大きなインパクトを受けた子供の一人が私なのです。
この作品、今なお私にとってのアニメーションの原点と言って良い作品なのです。

昭和17年といえば既に前年末に太平洋戦争が始まっていてディズニーなどの米国映画は

輸入が止まっていましたからこの映画はその隙間を埋める形で日本でもけっこうなヒットは

したようですが、世相は既に戦時下であり映画館で子供向け映画をのんびり鑑賞できた人は

少なくなりつつあった様子で、私がアニメーションに携わるようになってからも、

この映画の影響を語る人とは会ったことがありませんでした。

ところが東映西遊記のスタッフの中にもう一人だけ、この「鉄扇公主」を見て大きな影響を

受けた青年がいたのです。
それが他でもない手塚治虫その人だったということなのです。
前述のとおり私と手塚さんは三蔵法師の性格付けについて話し合ったとき、

妙に話が合いましたが、しかし別段「鉄扇公主」を話題に出して話し合ったわけでは

ありませんでした。

しかし後に知ったところによると手塚さんは14歳の時「鉄扇公主」を見て大きな刺激を受け、

実は「ぼくの孫悟空」を描く時にも大いに意識しており、

東映西遊記製作当時にはフィルムまで入手していて、脚本担当の植草圭之助氏に
見せてすらいたということなのです。

ちなみに「鉄扇公主」の三蔵法師は観音像にも似た顔つきの凛たるリーダーで、

当初は後ろに控えていますが、後半には孫悟空と猪八戒に指示を出し、

バラバラだった二人を的確に導いています。
西遊記ものにありがちなことなのですが孫悟空と猪八戒のキャラが立ち過ぎていて

この作品でも沙悟浄の出番がほとんどありません(笑)
弟子たちとともに、村人たちにも「団結」を説き、村人たちが協力して木の股で作った罠で

バケモノと化した牛魔王を挟み込んで捉えるあたりは特徴的とも言えます。
玄奘三蔵法師は登場人物中唯一の実在の偉人であり、本来は「大唐西域記」という

大冒険の主人公(というか記述者)なわけですからこれくらい活躍してもいいでしょう。
「団結」を説く中国の偉人、玄奘に当時の中国の状況を重ねる人もいたかも知れません。

手塚さんは晩年に何度か訪中し、万籟鳴監督にもお会いしたそうですが、

そのアレンジをしたはずの手塚プロダクションの松谷孝征社長は、

手塚さん本人は自分が最も影響を受けたアニメーションは
「鉄扇公主」であるむね明言していたとしているようです。

万兄弟は戦後、共産党政権の時代になってもその存在を認められ、

活躍を続けたと聞きます。
しかし、現在の中国のアニメーションは1980年代以降、

我が国のアニメーションから受けた影響が強く
(まあ、私自身も乞われて北京や大連にアニメーションを教えに行ったことが

あるわけですが)、
私も以前出展していた東京国際アニメフェアの中国ブースの展示作品を見ても、

日本かアメリカのアニメーションの影響の強いものばかりで、中国独自の、

万兄弟からの伝統を感じさせるような作品が
あまり見受けられなかったのは淋しいことと申せましょうか。

時代が変わると面白いこともあるようで、「桃太郎」やこの「鉄扇公主」は既に著作権の

保護期間が切れておりパブリック・ドメインとなっているので、

より新しい戦後の東映作品などと比べて、むしろインターネットで簡単に、無料で
実物を見ることが出来る由。
以下は息子が見つけてきた「鉄扇公主」全編へのリンクだそうです。
原語版(中国語)ですが子供向け故だいたい言っていることは分かります。
日本のアニメーションや手塚治虫のルーツにご興味の向きは、

是非とも見てみてほしいものと思います。