人は作品で嘘をつくことは難しいので、あの柔らかで優しい絵柄や作風こそが

森康二さんの人柄で間違いないのだが、

どうもご本人はそのような人と思われることもあまり好きではなかったようではある(笑)

私はさほど思っていなかったのだが、このブログを手伝ってくれている息子は、

往年の森さんの写真を見ては、
「どの写真も作り顔でこちらを睨んでいる」
「『お、写真を撮ろうとしているな? 素の顔した俺の写真なんか絶対撮らせないからな!』と
言わんばかりの顔でこちらを見返している」としきりと言う。

ところが、前出の「もりやすじの世界」所収の大塚康生さんの文章にも

ほとんど同じようなことが書いてある。

してみるとこれは、往年の森さんの写真を見る人にとってはわりと一般的な
感想なのかもしれない。

森さんは人に優しく、自分に厳しい人であったが、その一方で「辛辣」な人でもあった。

めったにヒトを褒めない。
一緒にアニメーションを作るスタッフは「自分」の側に属するということなのだろう。

私もかなり晩年になってからやっと

「タクさんにも才能『みたいなもの』があったんだねえ」

と言ってもらったのがせいぜいだった。

そういえば、宮崎駿君を評しての言葉も聞いたことがある。
それは、

「大田朱美の方が才能があるよ」

というものである。
バッサリである。

もっともこの言葉には深い含蓄があり、少々の解説を要する。
一見、他の人物を引き合いに出して宮崎君に低評価を与えているようでもある。
確かに「大田朱美」は我々の仲間の東映動画のアニメーターであるから
そのような受け取り方も出来なくもない。

しかし、もうお気づきの方も多かろうが、この「大田朱美」とは他でもない、
現宮崎夫人、朱美さんのことに他ならないのである(笑)
つまり「細君の方が才能があるよ」と言っているのである。

これは、
「君の活躍の陰では、一般的な『内助の功』というだけではなしに
アニメーターとしても犠牲になっている者がいることを忘れてはいけないよ」という
両者の師匠筋ならではの温かい戒めの言葉でもあるというわけだ。

しかしこの戒めはそれだけでは終わらない。
他でもない、それは宮崎君だけのハナシではないからだ。
全く同じ図式が私にも当てはまる訳で、何のことはない、
ひとごとではなくこの言葉は私への戒めの言葉でもあるわけだ(笑)

シンプルな表現の中にも多重構造的に深い意味合いが込められていて、
一見素っ気ないが、なんとも言えない優しさが籠っている。
要するに森康二調のひとことであるわけだ。