森康二さんについて書こうと思って自分の書棚をあらためていたら
不思議な本が出てきた。
立派な本である。巨きな版型(B4)で、分厚いハードカバー、それがまた
分厚い函に入っている。卒業アルバムを思わせる装丁である。
本のタイトルは「もりやすじの世界」。

内容は森さんの業績を纏めた画集に、写真と森さん自身による自伝的手記と
周囲の人々による文章をあしらった森さんの総合アルバムといった内容である。
奥付を見ると「責任編集 宮崎 駿」とある。発行所は「株式会社二馬力」。
このブログに関心をお寄せいただくような方々にはもしかしたら
先刻ご承知のことかもしれないが、二馬力はいわゆる出版社ではない。
宮崎君の個人事務所である。
定価は書いてあるが、書店流通用のコードのようなものは見当たらない。
どうやら広く一般に販売された本ではないようだ。

発行日を見ると「1992年2月28日」とある。1992年(平成4)は森さんが
亡くなられた年である。(平成4・1992年9月4日没)
そういえば、森さんが亡くなられた年の春先に、森さんを囲んでの
記念パーティーがあり、夫婦そろって出席した記憶がある。
どうやらその席で貰ってきたものであるらしい。
一応慶事のパーティーであったが、森さんは癌を患われていたので、
本人も、近い周辺も、予期するところのあるパーティーだったのだろう。

宮崎君も出版編集の専門家ではないから、実際の作業はしかるべき
人に委嘱したようだが、宮崎君一流の手腕を感じさせるものである。
森さんは我々初期の東映動画組にとっては等しく師匠筋にあたるし、
徒弟制度ではないので一番弟子とかそういうのはないのだが、
この本の雰囲気はまさに森康二調で統一されており
「我こそは森康二第一の継承者」という意気を感じる仕事ぶりである。
この本が想定する第一の読者は森さんその人なのであろう。

もっとも若い人はこの森康二調を宮崎調あるいはジブリ調と認識するの
かもしれない。
森さんは東映草創期から大勢のアニメーターにさまざまな面で大きな影響を
残している人だが、あの独特の、質素だけれど、柔らかく、
優しい感じの絵柄の雰囲気まで強く継承しているのは宮崎君を置いて
他にいないのも事実だからだ。

では、そのような大きな影響を残している森康二とはいったい
どのようなアニメーターだったのだろうか。

森康二(作品により「森やすじ」あるいは「もりやすじ」の表記も使用)さんは
大正14年(1925)、鳥取県生まれ。台湾で育ち、東京美術学校(現東京芸術大学)で
建築を学ばれた。終戦時、ちょうど20歳という年代である。

戦時中、政岡憲三さんの「くもとちゅうりっぷ」を見られたことから
終戦後、政岡さんの門を叩き、昭和23年(1948)の日本動画の創立に参加された。
日動で政岡さんの教えを受けるものの、昭和25年(1950)に旧日動は一旦解散。
その後は西武百貨店などで働かれたがアニメーションへの情熱は消えず
昭和31年(1956)に再建日動に舞い戻ると、同年、同社は東映に買収されて
東映動画となり、中心的人物として「白蛇伝」の製作に携わられた。