どうも。ブログ管理をしている息子でございます。
さて、前回のお話を見てわたくしは、関連して子供のころから何回となく
聞かされてきたある逸話を想起したのですが、杉山卓に照会しましたところ、
自分はその話は知らないとのことでしたので、そのお話をわたくしに
聞かせてきた母、酒井一美に確認した上で、<特別編>として
ご紹介したいと思います。
題して「白娘の鬘」(パイニャンのカツラ)。

酒井(杉山)一美は昭和14年(1939)、静岡市生まれ。
杉山卓とは2歳年下ですが杉山卓の5月生まれに対し3月生まれなので学年は

1年しか違いません。女子美の短大を経て昭和34年(1959)、
20歳の時に東映動画に入社しました。

酒井「私たち同期はみんな仲がいいのよ。彦根(ひこねのりお)さんでしょ、
小田部(羊一)さんでしょ、あと、高畑クンでしょ」
息子「へー、やっぱ同期だと『君』なんだ。ん?いや、彦根さんや小田部さんは
『さん』なのに高畑さんだけ『君』なの?」
高畑勲さんは酒井の同期ですが東大を卒業なさってからの入社でもあり
4つも年上でいらっしゃいます。
酒井「知らないの?」
息子「?」
酒井「だってあのヒト『クン(勲)』だもん」
息子「いや、それは…」

さらによく聞くと当時は高畑さんを「パクさん」(韓国方面とは関係なく、
いつも席で菓子パンをパクパク食べていたので「パクさん」なんだそうです)と
呼ぶ人が多かったが、「パクさん」だと「タクさん」(杉山卓)と紛らわしいので
酒井はいつも「高畑クン」と呼んでいた由。
…ともあれ、皆そうした口調でわいわいやりあうような仲間たちであったようです。

さて、そんな仲間たちががわいわいやっていたある日、
一つのカケゴトが持ち上がったそうです。
もちろんカケといっても、メシを奢るとかそうした他愛ないものだったようですが。
主題は鬘(かつら)。そう、前回登場した「白蛇伝」製作時に
ライブアクションやスケッチ時に佐久間良子さんが使用した鬘だったのです。
「白蛇伝」製作時の衣装や鬘が数年後のこの時期にもまだ東映動画のスタジオに
あったようなのです。

カケの内容はこの鬘を被って電車に乗ることが出来るかというものでした。
主役はひこねのりおさんです。
酒井はこのカケには参加しなかったのでひこねさん以外の正確なメンバーは
よく憶えていないそうですが、まあ、上記のような同期とかのいつもの仲間の
面々だったことは間違いないようです。

しかしひこねさんは造作もなく白娘の鬘を頭に被ったまま、遠巻きに見守る
一同を向こうに、大泉学園駅から電車に乗り込んだそうです。
酒井はカケにも参加していなかったし、中野方面に向かうバスに乗り換えるため
途中の練馬で降りてしまい、終点の池袋まで見届けることはなかったそうですが、
翌日聞いたところでは、ひこねさんはそのまま池袋まできちんと乗り通し、
カケに勝ったとのこと。

白娘の髪型は後年の中華娘の定番の二つお団子頭とも異なる、
鼓のように丸く盛り上げた独特の結い髪です。
ちなみにひこねさんの容姿については酒井曰く
「カールおじさん!」
だそうで、読者諸氏におかれましては、大きな一つ団子の結い髪を頭に乗せた
カールおじさんが西武池袋線に泰然と乗っている様をご想像下さい(笑)

若者たちの他愛ないふざけ合いの一コマといったところでしょうが、
初期の東映動画作品でライブアクションに使用された衣装や鬘などの小道具は
そのまま東映動画のスタジオに残される慣例だったようです。
実は、そういった衣装や小道具は作品完成後も有効に(?)
活用されていた様子で、今回、合わせて探してみたところ、
当時を偲ぶ写真が幾枚か出てきたとのことです。

 

各作品の完成時にはスタッフ一同での打ち上げのパーティーが開かれますが、

その席上ではこうした衣装や小道具も活用した寸劇が披露されるのが

慣例化していたようです。

 


こちらは「アラビアンナイト・シンドバッドの冒険」の完成記念時(昭和37年・1962)のもの。

左は「サミール姫」を「むりやり演じさせられた」(本人談)酒井一美。

右は同期の美男子菊池貞雄さん。白馬の中で笑わすのはダンちゃんこと森下圭介さん。

 

こちらは「西遊記」の完成記念。(昭和35年・1960)

「白鳥」ではっちゃけるのはなんと森康二さん。

その後ろの「王子さま」は「なつぞら」なつのメインモデル奥山玲子さん。

 

なお残念ながら杉山卓や高畑勲さんなどはこうした写真には写っていないそうです。

なぜなら、今日風に言えばシロウトコスプレ学芸会であったにも関わらず

「演出志望系のヒトたちだけは幕間からの指示出しに忙しかった」

「彼らだけホンキで煩かった」(酒井談)からだそうです(笑)