さて、ちょうど我々一般採用1期生の練習期間が終了するころあいを見るように、
東映動画は「白蛇伝」の実製作に突入いたしました。
と言っても日常そのものは大した変化はないのでその時はさほどの感慨もなく
本番作業に入っていきました。
私の「白蛇伝」の実製作体験は、
みなさんにはちょっと意外なものだったかもしれません。
なぜなら、そのかなりの部分が佐久間良子さんとのにらめっこに終始したからです。
女優の、あの佐久間良子さんです。
佐久間良子さんがライブアクションの出演者だったのです。
東映本体にとっても「白蛇伝」の製作は「買収した子会社にテコ入れしてやらせる」
といったていのものではなく、全社的な全力の取り組みでありました。
むしろ初めてであるがゆえにチカラの入れどころが分からないので出来ることは
全て全力でやった感すらあると言えましょう。
その端的な例がライブアクションの全編に及ぶ採用であったと言えます。
「ライブアクション」とはアニメーション製作時に、
予定される映像を実写で撮影してアニメーション作画のガイド画像とする技法です。
完全にトレス主体でアニメーション化する場合はロトスコープとも呼びます。
ロトスコープはディズニーが「白雪姫」で全面的に導入して、
そのリアルな表現で世界の注目を集めました。
東映では実写の方が困難なスペクタクルシーンやあまり違いの出ないキャラクターの
アップシーンなどは直接作画したせいか「ライブアクション」と呼んでいました。
本来、ライブアクションはアニメーション製作者にとってはお金と不慣れな手間の
かかる大変贅沢な手法なわけですが、当時年間100本の映画を作っていた
東映にとっては、むしろ実写映像はお手のものだったというのもあるでしょう。
ライブアクションの実写映像は東映本体の東撮スタッフが忙しい映画製作の
合間を縫って作ったものでしょうが、片手間で作られたことと映像が粗略な
ものであることはイコールではありませんでした。
主役の白娘(パイニャン)を演じるのが後の大女優佐久間良子さんであったのは
その最たるものでしょう。
佐久間さんはこの年(昭和32年・1957)の東映ニューフェースであり、
養成所で研修中でした。言わば東映のホープであったわけです。
むしろ東映的には期待の新人のカメラテスト的意味合いもあったのかも知れません。
ちなみに魚の精の少青(シャオチン)を演じたのも、これまた有名女優
(当時は子役)の松島トモ子さんでありました。
現在はコンピュータと3Dの発達で、モデルの動きを随時3Dアニメーションに
変換する技術も開発されていますが、この時代には当然そんなものはありません。
すべてアナログです。
ライブアクションの描き起こしには特別の机が用意されました。
フィルム編集機に近いリールと投影機を仕込んだ机で、
動画机のガラス面にフィルムの画面が投影されるようになっていました。
この机を使って、とにかく忠実に動画用紙に描き起こすというのが
我々新人の役割でした。余分なことは一切しません。
私の担当はヒロインの白娘でした。
私が対峙したのはフィルムの中で懸命に演技している佐久間さんだけではありません。
ホンモノの佐久間さんと相対するする機会もありました。
ちゃんと衣装を着て、鬘を被り、メイクをして佐久間良子さんが東映動画の
スタジオに来たのを我々が各種のポーズでクロッキーするのです。
作業が進んでいくと、我々新人にも動画カットの中割が回されるようになり、
やがて完成。「白蛇伝」は無事、日本のアニメーションの一大エポックとして
大ヒットを記録するところとなったのです。