大正時代に発祥し、営々として積み重ねられてきた日本のアニメーション製作技術は
第二次大戦のさなかという最も望ましくない時代に最初の頂点を迎えました。
それを代表する作品は、多少なりともアニメーションの歴史に関心のある向きには見逃せない作品、
「桃太郎の海鷲」(昭和17年1942・藝術映画社)とその続編ともいえる「桃太郎 海の神兵」(昭和20年1945・松竹動画研究所)です。
モノクロとはいえ、当時のわが国のアニメーション技術の粋を尽くした本格的長編漫画映画です。
この2作品は戦争が始まってからの公開であったにもかかわらず、映画としてはかなりヒットしました。
子供であった私も中野駅近くの映画館で観た記憶があります。
昭和20年には私は既に山形に疎開していて東京には居りませんでしたし、
憶えている内容も、ハワイ風の鬼ヶ島を爆撃機で空襲するというものですから、
私が見たのは「桃太郎の海鷲」の方ということになります。
「海の神兵」も桃太郎が麾下の犬、猿、雉、そしてなぜか「金太郎」の熊たちと鬼ヶ島の軍港(今度はセレベス島)を空挺奇襲するという、
当時の軍部(海軍)の意向をそのまま表現した内容です。
この時代は、ちょうどアメリカではディズニーが「ファンタジア」(1940年)、「ダンボ」(1941年)、「バンビ」(1942年)など
後世にも名を轟かすような名作アニメーションを次々と作っていた時代でもあるので、
ややもすると両者を対比して「桃太郎」を当時の日本の国力や文化がいかに貧相であったかの証左であるとの論難も見るようなことになっていますが、
しかしいざ実際に作品を鑑賞してみると上記のような思い込みとはやや異なった印象も持つ作品となっています。
当時、日本で映画を制作するのに必要なフィルムは軍の管理下にあり、軍の意向に反する内容であってはフィルムはもちろんその他のさまざまな必要な資材もそもそも手に入れることが出来ませんでした。
「桃太郎」も海軍省を後援とする国策映画であり、すでに記したとおりそのストーリーも軍の意向をストレートに体現したものとなっています。
しかし正直言ってこの「桃太郎」、戦意を鼓舞し、敵を撃滅する意気を盛り上げる作品という観点からすると、
必ずしも優秀な出来とは言い難いようにも思えるのです(笑)