ところで、私自身の話になりますが、東映動画でアニメーターになった経緯は以下のようなものです。

東映動画が発足したのは昭和31年(1956)7月31日。実質的な本社事務所は東京都中央区銀座三丁目の東映にあり、
スタジオは練馬区東大泉の東映東京撮影所のオープンセット用地の一角に、独立したコンクリート3階建てのビルになっていました。

そのころ、私は東京芸大の油絵科入学を目指し美術研究所の研究生として石膏デッサンに明け暮れる、
いわゆる美術系浪人で、家族から見ればとんだやっかいものでした。

そんなある日、姉が新聞で「画描き募集」という一行広告を見付けてきて私に言ってきました
「映画会社の東映で画描きを募集してるよ。学校なんかに行くより、こっちの方がいいんじゃない?受けてみたら?」
やっかいものですから、拒否するわけにはいきません。
「分かったよ。とりあえず、受けるだけは、受けてみるよ」

というわけで、銀座の東映に出向き採用試験の申込みをしました。
“どうせ、研究所通いの美術研究生が簡単に採用されるなんてことはないだろう”
と、たかを括っていたのですが、案に相違して私はパスしてしまったのです。

昭和31年(1956)5月に、私はまだ19歳になったばかりでした