ペーペーのアニメーターであった私が初めて岡部さんに直接面識を持ったのは「白蛇伝」の制作作業が
始まった頃ということになりますが、氏は山登りの専門家、山の雑誌の編集者でもあると紹介されました。
「山の雑誌」というのは現在でも山男たちに愛読されている雑誌「山と渓谷」誌のことです。
当時、岡部氏は「山と渓谷」誌の編集の仕事を兼任なさっていたのです。
“岡部さんは「ヤマケイ」の人だったのか”
と、私は少々の驚きとともになんとも言えない親しみを感じたのを憶えています。

実は、当時の私は、高校時代にクラブ活動として山岳部を選び、3年間精一杯の基礎トレーニングや山行経験などを
積んだことで、いっぱしの山男になったつもりでいましたので、岡部さんが「ヤマケイ」の人、山男の先達と聞いて
非常な親しみを覚えたのです。

おいおい事情が分かってきてみると、岡部さんは単に雑誌の編集者やその記事の執筆者であるのみならず
ご自身で漫画も描かれる多才な人で、それで今回の「白蛇伝」のキャラクターデザインもこなしているという
ようなことも分かってきました。

漫画家としての岡部一彦は一般的な知名度こそ弟の岡部冬彦さんに譲りましたが、出版関係での扱いは
弟さんに負けず劣らず一流で、文藝春秋社の漫画誌で特集を組んでいるのを拝見したこともあります。
詳細なことは判りませんが、たまに江戸時代の学者、賀茂真淵(岡部氏出身)とご先祖に関係のあることを
語っておられましたので、やはり並の人ではないのだと納得していました。