当体義抄送状

本文(御書全集五一九㌻)
 問う当体の蓮華解(げ)し難し故に譬喩を仮りて之を顕すとは経文に証拠有るか。
 答う経に云く「世間の法に染まらざること蓮華の水に在るが如し地より而も涌出す」云云、地涌の菩薩の当体蓮華なり、譬喩は知るべし以上後日に之を改め書(しる)すべし、此の法門は妙経所詮の理にして釈迦如来の御本懐・地涌の大士(だいじ)に付属せる末法に弘通せん経の肝心なり、国主信心あらん後始めて之を申す可(べ)き秘蔵の法門なり、日蓮最蓮房に伝え畢(おわ)んぬ。
                    日 蓮  花 押

通解
 問う、当体の蓮華ということは、理解しがたい。そこで譬喩を仮りて、これを顕わしたというが、その証拠が経文にあるか。
 答う、従地涌出品第十五に「本化の菩薩は、世間の法に染まらないこと、あたかも蓮華が泥水の中にありながら、清浄であるのと同じである。しかも、この本化の菩薩は大地から涌出した」と説かれている。これは、まさしく地涌の菩薩が当体蓮華であることを示している。譬喩はおのずと明瞭であろう。これについては後日、改めて書くことにする。
 この当体蓮華の法門は、法華経の究極の理であり、釈尊の出世の本懐であって、地涌の大士たる上行菩薩に付嘱したところの末法に弘通すべき法門の肝心である。このことは国主が信心した後に、はじめて申し出すべき秘蔵の法門である。日蓮は、これを最蓮房に一切伝えた。       
                    日 蓮  花 押

語訳
経に云く
 法華経従地涌出品第十五に「此の諸の仏子(ぶつし)等は 其の数量(はか)る可(べ)からず 久しく已(すで)に仏道を行じて 神通智力に住せり 善(よ)く菩薩の道(どう)を学して 世間の法に染まらざること 蓮華の水に在(あ)るが如し 地従(よ)りして涌出し 皆な恭敬(くぎょう)の心を起こして 世尊の前(みまえ)に住せり」(『妙法蓮華経並開結』四七一㌻ 創価学会刊)とある。

蓮華の水に在るが如し
「如蓮華在水(にょれんげざいすい)」を読み下した文。法華経従地涌出品第十五にある。地涌の菩薩が、煩悩・業・苦の渦巻く世間のなかにあっても、それに染まらないさまを、蓮華が泥水のなかに清浄な花を咲かせることに譬えている。ただし日蓮大聖人の仏法では、煩悩・業・苦の三道に染まらずとあるのは、それらを断絶するのではない、法身・般若・解脱の三徳と転ずるのである。如蓮華在水の原理は、人生、社会、世界を常寂光土と変える原理なのである。

講義
 この送状は、題名の示すように、当体義抄に添えて、最蓮房に与えられたものである。当体蓮華の意義について、重ねて簡明に示されると共に「国主信心あらん後始めて之を申す可き秘蔵の法門なり」と、この法門の弘通の方軌について指示されている。

 地涌の菩薩の当体蓮華なり

「如蓮華在水(にょれんげざいすい)」の蓮華は、地涌の菩薩の姿を譬えた、譬喩蓮華である。その当体蓮華は地涌の菩薩そのものに他ならない。
 不幸と悲惨と、欺瞞と残酷が充満する世界にあっても、われら地涌の菩薩は、妙法を持つが故に、微塵も染まることなく、幸福と平和へ、誠実と慈悲の人生を貫いていくことができるということである。
 むしろ、汚泥を離れて蓮華がないのと同じく、そうした世の中なればこそ、地涌の菩薩として出現し、民衆救済のために立ち上がったのである。現実から逃避し、よそに楽土を求めたのは、念仏等の既成仏教であり、キリスト教の天国思想であった。真実の仏法は、現実を直視し、現実の中に飛び込み、民衆と苦楽を共にしながら、妙法の力によって、清浄無垢の生命の輝きを開発していくのである。
 このとき、かつての泥沼は、まったく変わって、美しい蓮華の花の咲き競う楽園となる。すなわち、国土の成仏が成し遂げられるわけである。
 仏界を涌現するといっても、それは、あくまでも九界の生活の上にこそ実証されるものである。煩悩・業・苦を断絶するのではなく、妙法により、それらを法身・般若・解脱と転ずるのである。如蓮華在水の原理は、この人生、社会、世界を常寂光土と変える原理なのである。

 国主信心あらん後始めて之を申す可(べ)き秘蔵の法門なり 

「国主信心あらん後」とは、広宣流布の時という意味である。重要の法門なるが故に、その時の来るまで、大事に秘蔵しなさいとの仰せである。
 国主とは、現代に約すれば、国の主権者ということである。民主主義国家においては、国民大衆こそ、真実の国主である。議員、大臣等は、主権者たる国民の意思を代行する公僕である。されば「国主信心あらん後」とは、三大秘法の大仏法が流布しつつある現代をおいて他には絶対にない。
 まさに、この当体義抄の甚深の哲理が、妙法信受の人々によって、真剣に学ばれ、実践されるべき時が、いま来ていることを知らなければならない。

出典『日蓮大聖人御書講義』第七巻(編著者 御書講義録刊行会 発行所 創価学会)