〈池田先生の指導に学ぶ〉③2024年7月30日

  • せいけつたいしゅうふくの原点

 〈公明政治れんめいの結成に向けた打ち合わせで山本伸一は、当時のせいとう、政治家が、ぎょうや業界、組合などの利益代表のようになっていること、またえんするほうけんなどの見返りを期待し、要求してくる実態があることをまえて語る〉
 
 「これでは、本当に国民のための政治はできない。
 
 それに対して、学会は、同志であるみなさんを政界に送り出すために、全力でおうえんしてきたが、見返りなどを求めたことは、ただの一度もない。まさに、公明選挙、公明政治のばんをつくってきました。それは、これからも変わりません」
 
 政治のしは、ただ政治家だけによって決まるものではない。政治家を支援し、投票する人びとの意識、要望が、政治家を動かし、政治を決定づける大きな要因となっていくものである。ゆえに、政治の本当のかいかくは、みんしゅうの良識と意識の向上をきにしてはあり得ない。学会は、その民衆を目覚めさせ、そうめいにし、社会の行く手を見すえるまなこひらかせてきた。(中略)
 
 「どこまでも全民衆の幸福を第一義に、(中略)民衆につかえるという気持ちで、地域住民の手足となってください」(小説『新・人間革命』第5巻「」の章)

 〈1962年1月、公明政治連盟の発足が発表される〉
 
 山本伸一が「公明政治連盟」という政治団体結成にみ切った最大の理由は、創価学会は、どこまでも宗教団体であり、その宗教団体が、直接、政治そのものにかんすることは、しょうらいてきに見て、けたほうがよいという判断からであった。いわば、学会として自主的に、組織のうえで宗教と政治のぶんはかっていこうとしていたのである。(中略)
 
 宗教も、政治も、みんしゅうの幸福の実現というこんぽん目的は同じである。しかし、宗教が大地であるならば、政治はそのじょうの上にはんするじゅもくの関係にあり、両者は次元もことなるし、そのための取り組みかたも異なる。
 
 たとえば、かくへいの問題一つとっても、核兵器は、人類のせいぞんけんおびやかすものであり、絶対にはいぜつしなければならないという思想を、一人ひとりの心につちかっていくことが、宗教としての学会の立場である。それに対して、政治の立場は、さまざまな利害がからみ合う国際政治のなかで、核兵器の廃絶に向かい、具体的にさくげんこうしょうなどを重ね、協調、合意できる点を見いだすことから始まる。
 
 また、宗教は教えの絶対性から出発するが、政治の世界は相対的なものだ。
 
 そうした意味から、やはり、宗教団体のなかでの政治活動と宗教活動との、組織的な立て分けが必要であると伸一はけつろんしたのだ。そして、政治活動は、政治団体が主体的に行い、学会は、その支援をするという方向性を考えてきたのである。(小説『新・人間革命』第5巻「獅子」の章)
 
  ◇ ◆ ◇
 
 〈公明政治連盟はその後、「大衆とともに」とのしんのもとやくしんし、参議院と地方議会で“第三勢力”になる。そして64年5月、伸一は公明党の結成を正式に提案する〉
 
 日本の政治家には、何よりも、まず指導理念がけつらくしていた。たとえば、世界の平和をくちにしても、イデオロギーや民族のちがいをどうえるかというてつがくをもつ、政治家はいなかった。それゆえに、仏法のだいてつもとづく、「地球民族主義」という理念をかかげたせいとうの必要性を、伸一は、つうせつに感じていたのである。
 
 「地球民族主義」は、かつて、戸田城聖がていしょうしたものである。――人類は、運命共同体であり、民族や国家、あるいはイデオロギーなどの違いをえて、地球民族として結ばれるべきであるとする考え方である。
 
 公政連の「国連中心主義」の主張も、「地球民族主義」からみちびき出されたものであった。(中略)
 
 イデオロギーや他国の意向に、左右されるのではなく、民衆の幸福と平和の実現を第一義とし、中道の立場から政治をリードしていく政党を、人びとは待ち望んでいるはずである。
 
 さらに、日本の政治かいかくのためには、はいかんぜんと戦う、せいけつな党が出現しなければならない。政界じょうは、公政連の出発の時からのはたじるしであり、これまでの腐敗ついきゅうかがやかしい実績は、るいがない。(中略)
 
 大衆の味方となり、仏法のの精神を政治にはんえいさせゆく政党が、今こそおどるべきであろう。それがしゅうぼうではないか――山本伸一は、こうけつろんしたのである。(小説『新・人間革命』第9巻「衆望」の章)