〈発言ボックス 2024〉10 「私が入会を決めた時」2024年7月4日

 ●横浜市港南区 新倉美代(81歳)
 
 おさなころのわがびんぼうで、一年中、だれかが病気やけがでんでいました。また、継母との関係になやみ、常にきんちょうの日々。
 
 “なんで不幸な人と幸福な人がいるんだろう”と、あきらめ半分、ねたみ半分の思いをかかえ、いつも下を向いて生きていました。
 
 1959年(昭和34年)の夏、創価学会の女子部(当時)だという人が来ました。その人はせきついカリエスでなかがっていても、目がキラキラとかがやいていました。
 
 私はうつむき、話は頭の上をとおぎていましたが、彼女は、私の諦めの生命をるように「あなたにしかできない使命があるのですよ。しあわせになっていきましょう」と。私は顔を上げ、「はい」と言っていました。「私には使命がある」――しょうげき的な言葉でした。
 
 入会してすぐの会合で、みなで本を読み合わせました。人生を諦めて何も勉強してこなかった私は1行も満足に読めません。
 
 せんぱいは「池田先生の弟子らしくちからをつけていこう」ときびしくもあたたかくかかわってくれました。“この人のようにすてきな女性になろう”と決意しました。
 
 以来、「学会は校舎なき総合大学」と言われる通り、学会活動の中でさまざまなちからをつけさせていただきました。
 
 その後、60歳で創価大学の通信教育部に入学し、日本語教師の資格を取得。日本語教師のボランティアにも十数年、たずさわりました。
 
 この信心、そして池田先生というしょうめぐり合っていなかったら……と思うと、すべてに感謝です。