戸田先生の獄中闘争(1)(難即悟達)

 『法華経の智慧』 の 「常不軽菩薩品」 のところを繙(ひもと)いていた時、「其罪畢已(ございひっち)」〈其の罪畢(お)え已(おわ)って〉(常不軽品) という法門があります。
 これは、不軽菩薩が法華経を弘めて、上慢の四衆から迫害を受けることにより、過去の正法誹謗の罪障を消滅させることができるという “宿命転換の法則” を示しています。この法理を通して池田先生は、戸田先生の獄中の大難を偲んで、次のように述べられています。(抜粋)

 名誉会長  法を説いて、どんなに反対され、迫害されても、「これで自分の罪業をけしているのだ」 と喜んで受けきっていきなさいということです。「嘆いてはならない」 と教えてくださっているのです。
 それで思い出すのは、戸田先生が、獄中で四回、殴られたことです。権力をカサにきた看守が、理由もなく、戸田先生を一度、二度と殴った。先生は、腹の底から焼けつくような怒りがわいてきたが、囚われの身では、歯を食いしばって我慢するしかない。
 やがて、房の中で法華経を読み、題目を唱えぬいていったとき、これは自分の宿業を消しているんだということがわかったというのです。
 そして三度目。……… その時、くやし涙のなかで、はっと 「そうだ もう一度、殴られる 四度目に殴られたら、それは帰れるときだ」 と思った、と。その確信の通り、ある時、また狂気の看守が先生の背中を麻縄で、ぴしり ぴしり ぴしり と二十数回も殴った。
 もちろん激痛だったが、先生は心の中で 「きた 四回目だ これで罪は終わった」 と喜び、叫んでいたというのです。そして戸田先生の獄中の悟達へと続くのです。  (法華経の智慧5巻・136P)

 「難即悟達」 という教えがありますように、「悟り(功徳)」 を得るには 「難(罰)」 が必要なわけであります。ちょうど コインに裏と表があるように、「罰即利益」 「善悪一如」 の関係になるのであります。
 御本尊に功徳ばかりを願っても、それは無理な話であります。そして、少しばかり罰が出たからと言って、すぐ御本尊を疑うような弱い信心では、人間革命は成り得ないのであります。

 戸田先生の 「獄中の悟達」 に至るまでも、それ相応の大難を受けたのであります。
 戸田先生は実業家として、その当時、17の会社を経営されており、他に、九州の炭鉱と大阪の油脂工業の二つの会社を買収する計画があったとのことです。そのような多忙な日常生活の中では、とうてい法華経の大いなる悟りなぞ、叶うことはでき得ません。

 この大悟のためには、“無実の罪で法華経のために、牢獄にぶち込まれる” という大難が必要であったのでありましょう。
 入獄するということは,それまでの一切の名誉・地位・財産、そして人間関係までも失われ、外部との連絡等の一切の自由も奪われることになります。今の世のような人権意識など全くない、戦時下の牢獄という劣悪な環境の下で、裸一貫それこそ命を懸けて、強大な国家権力と対峙しなければならなかったのであります。

 このような状況の中、戸田先生は、間違って差し入れられた 『日蓮宗聖典』 を、わざわざ念を押して返却したのに、不思議にもまた、それが舞い戻ってきた。
 これは何かを暗示していると感じられ、昭和19年の元旦を期して、一日一万遍の唱題と法華経の解読に挑戦いたしました。そして激烈なる苦闘と思索の結果、あの 「我、地涌の菩薩なり」 という法華経の悟りを得たのであります。

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 戸田先生の悟達は、入獄という大難なくしては、有り得ませんでした。それ故に、先生は 「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れて行ってくださいました。…… なんたる幸せでございましょうか」 と、牧口先生に報恩感謝の意を捧げております。

 戸田先生の獄中の状況については、先生の 『人間革命』 が発刊されたとき、池田先生が 「読ませていただきました。前半は極力、小説そのものとしてお書きになられたと思います。後半は、先生の貴重な体験をもととした記録として、私は特に感銘いたしました」 と述べられています。
 以上のように、『人間革命』 の後半部分は、先生の獄中での貴重な体験が記録されています。私は資料としては、文庫版の戸田先生の 『人間革命』(妙悟空著) しか持っていませんが、これをもとにして 「戸田先生の獄中闘争」 を、偲んで見たいと思います。