だいしんおん 門下への便たより〉 なんじょうときみつ④=完

 20代をむかえたなんじょうときみつ。「あつはらの法難」でのふんとうから間もなく、次々とれんの嵐がおそいかかりました。弟とのべつ、自身の大病……。それでも一歩も退しりぞくことなく、ちかいのままに、かんぜんと立ち向かっていった時光のとうそうの背景には、いかなる時も弟子を温かく見守り続ける日蓮大聖人のそんざいがありました。
 ばんねんの大聖人は、広布のめいみゃくぐ時光がきょうを開けるよう、“本物の信心”の姿せいをたたえるなど、はげましを送ります。師のあいの言葉にいさみ立った時光は、がんぜんの課題を乗り越え、こうけいの人材へと成長していったのです。
 こうあん5年(1282年)10月13日、妙法流布に生きかれた大聖人は、61歳のすうこうしょうがいを閉じられました。大聖人のにゅうめつ後、時光は、師匠と結んだ“心のきずな”を、生涯、忘れることはありませんでした。
 しょうおう2年(1289年)、大聖人の精神を守り伝えるため、ほうぼうまったのぶを離れた日興上人を、時光は上野郷のていまねきます。日興上人はりんせつで弟子のくんいくちからを注ぎました。日興上人のもと、大聖人のだいがんの実現へ、同志の“団結のかなめ”としてじゅんすいな信心をつらぬいた時光は、後に官職を得るなど、武士としても社会的な立場を確立しました。
 「時光を見習っていけ」――戸田先生の言葉の通り、師弟不二に生き抜いた時光は、門下のかがみとして後世の人々にあおがれているのです。

生死ののうを越える仏法の哲理

御文

 ろう殿どのも、今はりょうぜんじょういりわせたまいて、故殿とのおんうべをでられさせたもうべしともいやりそうらえば、なみだきあえられず。(はるのはじめしょうそく、新1929・全1585)

通解

 くなられたろう殿どのも、(兄の信心に包まれ)今、りょうぜんじょうで父に頭をなでられているだろうと思えば、なみだおさえられない。

 ◇ ◇ ◇

 最愛の家族に先立たれる悲しみほど、深いものはありません。こうあん3年(1280年)、時光夫妻に、家をぐ男児がたんじょうし、一家が祝福につつまれる中、思いもよらぬ試練がおそいます。時光の弟・五郎がとつぜん、16歳のわかさでりょうぜんに旅立ったのです。
 その直前、時光は五郎をともなって、のぶの大聖人の元をおとずれていました。大聖人はりっ若人わこうどに成長した五郎に対して、「あっぱれ、きもがすわった素晴らしい青年であることよ」(新1903・全1567、通解)と、限りない期待をせられていたのです。
 共に妙法流布に生きく未来を思いえがいていた弟のそうせいに直面し、時光のたんはいかばかりであったか。ほうせっした大聖人は時光に、「夢か夢か、まぼろしか幻かとうたがい、うそではないのかと思った」(新1904・全1566、通解)と、時光に寄り添うようにしんきょうをつづられています。
 後年にあらわされたほんしょうでは、“五郎が霊山で、父に頭をなでられているだろう”とはげましを送られています。かつて時光の父がくなった折、五郎は母のたいないにいました。生前、めぐうことができなかった家族が、信心という一点でつながり、三世にわたって永遠に結ばれていく――。大聖人のあいげんげんが、あいしずむ時光の心に希望の光をんだことでしょう。
 今世でのあいべつがあっても、信心で結ばれた故人との生命のきずながある限り、いかなるなんにもくっしない。日蓮仏法の深遠な生命観にもとづいた価値そうぞうの生き方は、生死ののうえるてつとしてかがやきをはなっています。

まなを思うしょう

御文

 じんらめ、このひとやますは、つるぎかさまにむか、まただいだくか、さんじっぽうほとけだいおんてきとなるか。あなかしこ、あなかしこ。このひとまいをたちまちにおして、かえりてぼりとなりて、どうだいくべきか。(ほっしょうみょうしょう、新1931・全1587)

通解

 じんどもよ。この人(=ときみつ)をなやますとは、つるぎさかさまに飲むのか、自らたいいだくのか、さんじっぽうの仏のだいおんてきとなるというのか。まことにおそれるべきである。この人のやまいをすぐになおして、反対に、この人の守りとなってどうの大きな苦しみからまぬかれるべきではないか。

 ◇ ◇ ◇

 こうあん5年(1282年)、24歳の時光は重いやまいわずらいました。大聖人がくなられる8カ月前のことです。
 当時、大聖人も体調をくずされていましたが、時光の病状を案じられ、病身をしてほんしょうの筆をられました。
 「じんめらめ」とのさけびで始まるいっせつには、大聖人しんが体を悪くされていることをじんも感じさせないような、いかりにも似たがほとばしっています。まなおそを打ち破ろうと、命をけずる思いで鬼神をしっせきするしょうれ、びょうしょうの時光は、生命力をよみがえらせたにちがいありません。
 その後、きょう寿じゅみょうたした時光は、大聖人めつの50年を生きき、日蓮門下をいんように支える“かなめそんざい”としてふんとうしました。
 師の心におうし、弟子が勝利を開く――。この師弟一体の前進こそ、創価の連帯にみゃくめつたましいなのです。