〈明日を照らす〉 テーマ:覚悟の信心
自身の弱い心を打ち破り、眼前の壁を乗り越えゆく要諦とは何でしょうか。日蓮大聖人は、勝負どころに臨む門下に「ただひとえに思い切るべし」(新2085・全1451)と励まし、「絶対に勝つ」と心を定めて、勇気を奮い起こす姿勢を教えられています。今回の「明日を照らす」では、「覚悟の信心」をテーマに学んでいきます。
全ての苦難を成長の糧に
【通解】火に薪を加える時には火は盛んに燃える。大風が吹けば、求羅(=仏典に出てくる想像上の生き物)は倍増するのである。松は万年の寿命を持つゆえに枝を曲げられる。法華経の行者は火と求羅に当たり、薪と風は大難に当たる。
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人生は順風の時ばかりではありません。思わぬ試練の逆風に阻まれる時にこそ、その人の真価が明らかになるといえるでしょう。
コロナ禍を経て、レジリエンス(困難を乗り越える力)やネガティブ・ケイパビリティ(答えのない事態に対して耐える能力)という概念に、改めて注目が集まっています。昨今の先行き不透明な状況下で、どのように一つ一つの壁に向き合い、破っていくべきか。少しもたじろがずに、力強く生き抜いていくためには、“苦難の意味”を見いだすことが重要です。
日蓮大聖人は、主君を折伏したことで苦境に立たされた四条金吾に、大難の中で信心を貫けば、仏の境涯を現していけることを、譬えを通して教えられました。
「火」と「求羅」は法華経の行者、「薪」と「大風」は大難を譬えています。難に遭うほどに信心の炎を燃やしていけば、法華経の行者は一段と強く成長していける――日蓮仏法の眼から見れば、苦難は全て、自身の生命を鍛えるための“信心の糧”となるのです。
池田先生は、この一節を拝して、「嘆いていても始まらない。自分が人間革命し、強く賢くなっていく力が、信心です」と指導されました。勝負の時に、強盛な祈りで現状に挑む“不撓不屈の人”には、勝利の道が開けるのです。
広布の大願に生き抜く
【通解】結局のところは、天も私を捨てるがよい、いかなる難にも遭おう、身命をなげうつ覚悟である。
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巡り来る5月3日は、全国・全世界の同志にとって、弟子の凱歌で飾る原点の日であり、新たな誓願に立ち上がる旅立ちの日です。
1960年(昭和35年)のこの日、創価学会の第3代会長に就任した池田先生は、戸田先生の不二の弟子として、未聞の広布拡大を固く心に期して出発しました。この折に、深く胸に刻んだのが、冒頭の「開目抄」の一節です。
本抄の御執筆当時、大聖人門下への迫害は激しさを増し、退転する者が続出していました。“法華経の行者であるならば、なぜ諸天の加護がないのか”――大聖人は、人々が抱く疑問に対して、法華経に説かれる三類の強敵などを踏まえ、経文通りの難を受けている自身こそ、真の法華経の行者であることを示されます。
その上で、妙法弘通への御覚悟を述べられます。“命をなげうってでも衆生を救済するという誓願を立てたゆえに、諸天の加護の有無は重要ではない”と――。
この大聖人の魂を胸に、世界広布の道を開いた池田先生は、つづっています。「御本仏の御確信を拝し、恐れず、怯まず、師子王のごとく、広布の大願に生き抜いてきたのが創価の師弟です。(中略)『詮ずるところは』と、一切の状況を転換しゆく起点こそ、『誓願』にほかなりません」
池田先生の大闘争に連なる私たちも、覚悟の信心で、新たな一歩前進を開始していきましょう。
澄み渡る青空に堂々とそびえ立つ富士山(山梨・忍野村)。日本一の名峰のごとく、いかなる烈風にも微動だにしない“信念の人”に