戸田先生の誓願(3)(七十五万世帯の折伏)

 創価学会第二代・戸田城聖先生の 「会長推戴式」 は、昭和26年5月3日午後二時、向島・常泉寺において、執り行われました。戸田先生の会長御就任の決意のご講演であります。(抜粋)

 「今、私は、不肖の弟子なりといえども、大聖人御出現の御姿をつくづくと拝したてまつり、一大信心に立って、この愚鈍の身を、ただ御本尊にささげたてまつるという一心によって、会長の位置に、初めて就かんと決意するものであります」  (ワイド文庫人間革命5巻・18P)

 「現代において、仏と等しい境涯に立ち、この世界を心から愛する道に徹するならば、ただ折伏以外の方法は、すべてなにものもないのであります。
 これこそ各人の幸福への最高手段であり、世界平和への最短距離であり、一国隆昌の一大秘訣なのであります。ゆえに、私は折伏行こそ、仏法の修行中、最高のものであると言うのであります。折伏行は、人類の幸福のためであり、仏法でいう衆生済度の問題であるので、私の境涯と一致するのであります。
 したがって、折伏をなす者は、慈悲の境涯にあることを忘れてはなりませぬ。宗門論争でもなく、宗門の拡張のためでも決してない。御本仏・日蓮大聖人の慈悲を行ずるのであり、仏に代って、仏の事(じ)を行ずるのであることを、夢にも忘れてはなりませんぞ。
 この一念に立って、私は、いよいよ大折伏を果敢に実践せんとするものであります。時は、既に熟しきっている。日蓮大聖人立宗宣言あって七百年 ―― その時を間近にして考うるに、創価学会のごとき団体の出現が、過去七百年間に、いったい、どこに、どの時代に、あったでありましょうか。大いに誇りをもっていただきたいのであります。
 私の自覚にまかせて言うならば、私は、広宣流布のために、この身を捨てます!
 私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は、私の手でいたします。
 ………
 もし、私のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。遺骸は、品川の沖に投げ捨てなさいよろしいか」  
 最後の言葉は短かった。だが、戸田の火を吐く烈日の気迫は、聞く者すべての肺腑を突かずにはおかなかった。  (ワイド文庫人間革命5巻・57~59P)

 戸田先生は、“この愚鈍の身を、ただ御本尊にささげたてまつるという一心によって、会長の位置に、初めて就かんと決意する” と述べられています。
 ここにあらためて、創価学会の会長職の大変さ・凄さ・厳しさを思い知らされました。本当に掛け値なしに、命を懸けなければ、務まらない職務なのであります。

 現実に、初代会長・牧口先生は、国家権力の弾圧によって、お命を落とされました。
 二代会長・戸田先生は、獄中にて体を痛め付けられて、会長就任後わずか七年間、58歳のお命でした。
 三代会長・池田先生は、昭和32年7月、大阪事件で無実の罪で入獄、身を挺して戸田先生と創価学会を護りました。
 昭和45年、言論出版問題。昭和54年、第一次宗門問題。平成2年、第二次宗門問題。その他、数多くの広宣流布を破壊せんとする魔力に対して、これらの大難を忍ばれ、身を挺して壁となり、あるいは傘となって、我ら会員を護ってくださいました。この御恩は決して忘れてはなりませぬ。

 そして、戸田先生の御就任の講演は、自らの命を懸けられた “「七十五万世帯の折伏」 は、私の手でいたします” という、畢生(ひっせい)の大宣言・大誓願でありました。
 池田先生は、“御書に仰せの通りの 「仏と等しい境涯」 に立っての大宣言です。こうして、大聖人の誓願は現代に蘇ったのです” と述べられています。

 しかし、この時の参加者たちは、「七十五万」 という言葉が信じられなかったのであった。
 ある人は、“七万五千” の間違いではなかろうか、と思った。
 ある人は、大聖人は広宣流布は 「大地を的とするなるべし」(1360P) と仰っている。ゆえに、先生は 「更賜(きょうし)寿命(更に寿命を賜え)」(寿量品) なされて、きっと大変長生きされるに違いないと思った。
 ある人は、先生を品川の沖に流すことなんか、とんでもないことだ、と本気になって悩んだ。

 そもそも、聖教新聞の推戴式を報道する記事にすら、「七十五万世帯」 という数字は、どこを捜しても見当たらないのである。
 その当時の 「会長推戴賛意署名簿」 に署名した人数は、3080名であった。このかけ離れた数字からして、先生の大確信が誇大な放言となって採られることを、一般世間に対し警戒したのかも知れない。

 このような中で、池田先生ただ一人、戸田先生の 「七十五万世帯達成」 の大誓願を、真剣に受けとめられ、広宣流布の願業を実現するために、折伏・弘教の戦いの指揮を執られました。
 そして、会員一同も一丸となって、広宣流布の戦いにまい進した結果、昭和32年12月、学会の総世帯数は、七十六万五千世帯を達成することが出来ました。この間わずか七年たらずの歳月でありました。
 この短期間に、戸田先生がなされた不世出の大偉業は、すべて先生の大確信に発するもので、ことごとく 「願業成就」 なされました。