戸田先生の誓願(1)(われ地涌の菩薩なり)

 「誓願」 について思いだしますことは、戸田城聖先生の第二代会長推戴式の時の 「七十五万世帯折伏」 の大誓願であります。この戸田先生の誓願のお蔭で、我われは御本尊を受持することが出来、幸せになることが出来ました。
 この 「誓願」 の原点となるものが、戸田先生の 「獄中の悟達」 と言われるものであります。

 戸田先生は戦時中、軍部政府の宗教弾圧を受け、牧口先生にお供して獄に降られました。獄中にて、唱題と法華経を読みきることを実践され、不思議なる境地を覚知なされました。
 戸田先生のことを深く知ろうとするならば、それは戸田先生に師事なされた、池田先生にお聞きする以外にありません。
 池田先生は、『人間革命第1巻』 の “はじめに” のなかで、戸田先生の妙悟空著の小説 『人間革命』 誕生の時のエピソードが、記述されています。

 …… 談たまたま上梓(じょうし)されたばかりの単行本 『人間革命』 に移った。
 「大作、おれの 『人間革命』 どうだい?」
 先生は、出来栄えを気にしているらしかった。
 私は恐縮したが、率直に申しあげた。
 「読ませていただきました。前半は極力、小説そのものとしてお書きになられたと思います。後半は、先生の貴重な体験をもととした記録として、私は特に感銘いたしました」
 「そうか。自分のことを一から十まで、うまく書くわけにはいかないからなー」
 先生は呵々(かか)大笑された。
 私は、その声の響きのなかに、先生の御生涯を通して、先生の御精神を誤たず後世に伝えるのは、私の使命であり、先生の期待であることを知った。
 ………
 私もまた、先生の真実の姿を永遠に伝えるために、心を砕かねばならぬ。  (ワイド文庫人間革命1巻・6~7P)

 以上のように、戸田先生の真実の姿は、余すところなく、池田先生の 『人間革命』 のなかにあります。さすれば、誓願のことも 『人間革命』 に求め研鑚しなければならないと思います。
 それで、原点である 「獄中の悟達」 のところの外、何点かを示して見たいと思います。しかし、ここでは、概略・要点のみですので、詳しくは 『人間革命』 を精読して下さい。

 戸田先生は獄中において、ご自身が末法弘通の付嘱を受けた、「地涌の菩薩」 であることを覚知なされました。この時の使命の自覚こそが、すべての 「誓願の原点」 になったと思います。
 『人間革命』 には、次のように述べられています。(抜粋)

 彼は涙のなかで、日蓮大聖人が、「御義口伝」 で引かれた 「霊山一会、厳然未散(霊山の一会、厳然として未だ散らず)」(757P) という言葉を、ありありと身で読んだのである。
 彼は何を見、何を知ったというのであろう。 
 大聖人は、「三大秘法抄」 のなかで、「此の三大秘法は二千余年の当初(そのかみ)・地涌千界の上首として、日蓮慥(たし)かに教主大覚世尊より口決相承せしなり 」(1023P) と仰せである。
 ………
 “「口決相承」 といっても、形式的な儀式ではないのだ。あの六万恒河沙の中の大衆の一人は、この私であった。まさしく上首は、日蓮大聖人であったはずだ。なんという荘厳にして、鮮明な、久遠の儀式であったことか。してみれば、おれは確かに地涌の菩薩であったのだ
 ………
 “よろしい、これで俺の一生は決まった。今日の日を忘れまい。この尊い大法を流布して、おれは生涯を終わるのだ  
 ………
 「四十にして惑わず。五十にして天命を知る」
 四十五歳の彼は、そのどちらでもない。しかし、今の彼は、この二つの境地を同時に得たのである。…… 
 「彼に遅るること五年にして惑わず、彼に先だつこと五年にして天命を知りたり」 
 ………
 ちょうど同じころ、…… 牧口常三郎会長が、ひとり病んでいた。…… 一九四四年(昭和十九年)十一月十七日、自ら病監に移り、翌十八日、安詳として七十三年の崇高な生涯を閉じたのである。
 戸田城聖が、恩師の死を知ったのは、牧口の逝去から五十二日目の、翌年一月八日のことであった。その日、彼は、一人の予審判事から、牧口の死を知らされたのである。
 彼は、慟哭(どうこく)した。身も世もなく悲しみ悼(いた)んだ。そして、涙も枯れ尽くすまで泣いた。しかし、既に、わが身の重い使命を自覚していた彼は、広宣流布という大業によって、この仇(あだ)は必ず討ってみせると、我が心に誓った。  (ワイド文庫人間革命4巻・27~30P)

 戸田先生は、入獄という大難の中、激烈なる思索と唱題の結果 “おれは確かに地涌の菩薩であったのだ” と悟られました。そして、牧口先生を獄死させた権力の魔性に対して、“この仇は必ず討ってみせる” と、どちらが正義なのか、広宣流布の実現をもって、それを実証して見せると固く決意いたしました。
 この誓願は、不二の弟子・池田先生に引き継がれ、今や、世界192カ国にまで拡大し実証されています。

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 戸田先生は、保釈出所された昭和20年7月3日の夜、灯火管制下の薄暗い部屋で、まる二年ぶりに、ご自宅の御本尊様にお会いいたしました。

 彼は、御本尊に顔をすりつけるようにして、一字一字、たどっていった。
 “確かに、この通りだ。間違いない。全く、あの時のとおりだ ……”
 彼が、獄中で体得した、不可思議な虚空会の儀式は、御本尊に、そのままの姿で厳然として認(したた)められていた。
 彼の心は歓喜にあふれ、涙は滂沱(ぼうだ)として頬(ほお)を伝わっていった。彼の手は、震えていた。心に、彼は、はっきりと叫んだのである。
 “御本尊様!大聖人様!戸田が、必ず広宣流布いたします”
 彼は、胸のなかに白熱の光を放って、あかあかと燃えあがる炎を感じた。それは、何ものも消すことのできない、灯(ひ)であった。いうなれば、彼の意思を超えていた。広宣流布達成への、永遠に消えざる黎明の灯は、まさにこの時、戸田城聖の心中にともされたのである。
 ………
 この深夜、彼の心のなかで、黎明を告げる鐘は殷々(いんいん)と鳴り渡ったが、それを誰一人、気づくはずはない。その音波が、人々の耳に、かすかに轟き始めるには、数年の歳月が必要であった。
 だが、日本の、まことの黎明は、この時にはじまったのである。  (ワイド文庫人間革命1巻・54~56P)

 戸田先生は、ご自身が体得した虚空会の儀式が、“御本尊に、そのままの姿で厳然として認められていた” ことを確認して、歓喜に打ち震えました。
 そして、先生の心中には、“広宣流布達成への、永遠に消えざる黎明の灯” が点されていました。終戦直前の無気力な、虚無感の漂う世相の中にあって、ただ一人・戸田先生の心中に、日本の黎明はあったのである。
 まさに、“一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする” という 『人間革命』 のテーマの如くに。